このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ひなまつりは、どうして はじまったの?

ひな祭り ── 流す人形と人形遊びが、ひとつになるまで

ひな祭りの起源 ── 上巳の行事と雛遊び、飾る人形への道

分野:歴史・文化

3月3日は、女の子のいる家で、雛ひな人形にんぎょうを かざる日です。でも むかしは、人形を かざるのでは なく、川かわに ながして いたと いわれています。

答えを さきに いうと、むかしの ひなまつりは、からだに ついた わるい ものや わざわいを 人形に うつして ながす 行事と、子どもの 人形あそびが 合わさって できました。

3月3日のひな祭りは、女の子の成長を願う日として知られています。でも、もとは女の子だけの日では なく、人形を水に流す行事でした。

答えを先に書くと、ひな祭りは、3月の初めの巳の日に行われた「人形に汚れを移して流す」行事と、平安時代からあった人形遊びが合わさってできた行事です。江戸時代に人形を飾る形になり、女の子の節句として広まりました。

3月3日のひな祭りは、女の子の成長を願う行事として知られている。しかし、もとは女の子だけの行事ではなく、紙の人形に汚れや災いを移して水に流す行事だった。

ひな祭りは、陰暦3月初めの巳の日の行事(上巳)と、平安時代の貴族の少女がしていた人形遊び(ひいな遊び)が合わさってできた。江戸時代には人形を飾って祝う形になり、幕府が五節句の一つに定めたことで、女の子の節句として広まった。このメモでは、文化庁の解説、日本大百科全書の「雛人形」の項目、百科事典の「上巳」の項目、展示の解説をつきあわせて、その流れを整理する。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. むかしは、人形を川に ながして いた

1. 3月の巳の日に、人形で汚れを移して流した

1. 上巳の行事 ── 紙の人形で汚れを移し、水に流す

3月の はじめの「巳みの日」に、上巳じょうしという 行事が ありました。紙や 草で 人の かたちを つくり、その 人形で からだを なでて、よくない ものを うつします。それを 川に 流すと、災わざわいが はなれると 考えられて いました。

この 人形は、身がわりの かたちという 意味で、形代かたしろとも よばれます。

3月のはじめの巳の日(上巳じょうし)には、紙や草でつくった人形にんぎょうで体をなで、汚れや災いを移して水に流す行事がありました。この人形は、身代わりを表す「形代かたしろ」ともよばれます。

この行事は、のちに3月3日に固定されます。そして、この日の行事が「雛ひなの節供」をさすようになったとされています[3]。

上巳は、陰暦3月の最初の巳の日の行事である。中国で水辺に入って身を清める風習が日本に伝わり、巳の日の祓いになったとされる[3]。紙や植物でつくった人形にんぎょうで体をなで、汚れや災いを移して水に流した[2]。

この行事の日付が3月3日に固定し、雛の節供をさすようになった[3]。

2. 平安の子どもは、人形で あそんで いた

2. 平安時代の人形遊び「ひいな遊び」

2. ひいな遊び ── 紙の人形で、ままごとをする貴族の少女

平安時代の きぞくの 女の子たちは、紙かみの 人形で ままごとを して あそんで いました。その あそびを「ひいな あそび」と いいます。「ひいな」は、小さくて かわいい という 意味の ことばです。

源氏物語げんじものがたりにも、ひいな あそびの ようすが 出て きます。

「ひいな」は、小さくてかわいいものを表す古語です。貴族の少女は、紙の人形を使って、ままごとのような遊びをしました。『源氏物語』にも、ひいな遊びの場面があります[2]。

この遊びは、まだ3月の節供とは結びついていませんでした。遊びと、流す行事が結びつくのは、平安時代のあとのことです。昔の子どものままごとについては、ままごとの歴史の記事も読めます。

ひいなは、小さくかわいいという意味の古語である。平安時代の貴族の少女が、紙の人形を使ってままごとのような遊びをした。『源氏物語』にも、ひいな遊びの場面がある[2]。

この時点では、遊びと3月の節供は結びついていなかった[2]。紙の人形の遊びと、水に流す人形が、どの時点で一つになったかは、事典によって説明の重みが違う。ままごと道具の材料の移り変わりは、ままごとの歴史の記事で扱っている。

3. 流す人形と、あそぶ人形が いっしょに なった

3. 流す人形と、遊ぶ人形が一つになった

3. 2つの流れが溶け合い、雛人形の原型ができる

3月の 行事で 流す 人形と、子どもが あそぶ 人形が 合わさりました。

江戸えど時代の はじめ ごろから、人形を かざって 3月3日を おいわいする ように なりました。

3月3日の行事で流す人形と、子どもの遊ぶ人形が、やがて一つにまとまりました。日本大百科全書の「雛人形」の項目は、この2つが溶け合って、雛人形の骨組みができたと説明しています[2]。

人形を飾って3月3日を祝うようになったのは、江戸時代の初めとされています[1]。文化庁の解説では、元号の名前がついた寛永雛かんえいびなや享保雛きょうほびななどの飾りが紹介されています。

雛人形という名称そのものが、江戸時代に生まれたものである[2]。流す人形の信仰と、ひいな遊びが溶け合って、雛人形の骨組みができた[2]。

人形を飾って祝うようになったのは、江戸時代の初めとされる[1]。江戸時代には、元号を冠した寛永雛・享保雛など、時代ごとの好みや流行をもつ雛人形が作られた[1]。

4. 女の子の おいわいの日に なったのは、なぜ?

4. 江戸時代に、女の子の節句になった

4. 五節句と、女児の祝い日

江戸えどの 幕府ばくふは、3月3日を「節句せっく」の 一つに 決めました。そのあと、町の 家でも、3月3日は 女の子の おいわいの日に なって いきました。

公家や 大名の 家では、女の子が 元気に そだつ ことを ねがって、小さくて かわいい 道具を ならべました。

江戸幕府は、1月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日を式日と定めました。このうち3月3日の上巳じょうしが、五節句の一つになります[4]。

もとは公家社会の行事でした。公家や大名家では、女の子の健やかな成長と良縁を願い、雛人形や小さくて愛らしい雛道具を並べて祝いました[4]。やがて町の家でも、3月3日は女の子の祝い日として雛祭りをするようになったとされています[3]。

江戸幕府は、人日・上巳・端午・七夕・重陽の五節句を式日と定めた。上巳は五節句の一つになり、もとは公家社会の年中行事だった[4]。

公家や大名家では、女子の健やかな成長と良縁を願う祝いが行われた[4]。民間では、3月3日が女児の祝い日として雛祭りが行われるようになった[3]。流す行事が、女児の祝いへ変わっていった経緯は、資料ごとに説明の順番がちがうため、ここでは大まかな流れにとどめる。

5. いまも、流す ひなは あるの?

5. 流し雛は、いまも残っている

5. 流し雛の今 ── 残ったものと、まだ一つに決まらないこと

いまは、ひな人形を かざって たのしむ 行事が 中心です。でも、一部の 地方では、3月3日の あとに、ひなを 川へ ながす「ながしびな」が 今も のこって います。

いまは、ひな人形を飾って楽しむ行事が中心です。ただ、鳥取地方などでは、3月の節供のあとに雛を川へ流す「流し雛」が今も残っています[2]。文化庁の解説も、今でも「流し雛」として目にする、と書いています[1]。

ひとがたを流す行事と、ひな人形を飾る行事は、どちらが主になって今の形ができたかは、資料によって言い方がちがいます。

現在は飾る行事が中心だが、鳥取地方などでは、3月の節供のあとに雛を川へ流す習俗が残っている[2]。文化庁の解説も、流し雛を今でも目にすると書いている[1]。

起源を「流す行事」と「人形遊び」の2つに分ける説明が多いが、どちらがどれだけ影響したかについては、資料ごとに重みが違う。この記事の資料だけでは、その重みを決めきれない。

6. しらべて みよう

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分で調べてみたくなったら

紙を 人の かたちに 切って、今年の ねがいごとを 一つ 書いて みて ください。川には 流さず、つくえの 上に かざって みて ください。

おうちに ひな人形が あったら、かざりの だんが いくつ あるかを 数えて みましょう。

今日できること:紙を人の形に切り、今年の願いを一つ書いて、机に飾ってみてください。ひな人形が家にあれば、飾りの段の数を数えてみてください。

出かけてできること:雛人形を展示している博物館や資料館で、江戸時代の雛人形と今の雛人形を見くらべてみてください。

公式情報:文化庁「ぶんかる」の解説([1])と、展示の解説([4])で確かめられます。

資料を読むなら:日本大百科全書の「雛人形」の項目([2])と、上巳の項目([3])を読み比べる。事典ごとに、流す行事と人形遊びの説明の重みが違うことが分かる。

見にいけるもの:雛人形を展示する博物館や資料館で、江戸時代の雛人形を見くらべる。この記事では、林原美術館の展示解説を出典に使っている([4])。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

このメモは、下にあげた公開情報をもとに書いています。文章や図を無断で転載してはいません。もっと正確に知りたいときは、必ず下の出典にあたってください。リンク先の内容や、リンク先で起きたことについて、当サイトは責任を負いません。

  1. 文化庁「ぶんかる」「文化財のトビラ 104 人形と春の一日を」(2023年1月25日。執筆:京都国立博物館 企画室長兼工芸室長 山川曉)。 https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/bunkazai/bunkazai_104.html (上巳の禊の行事、人形で体をなでて水に流したこと、江戸時代の初めに人形を飾るようになったこと、寛永雛・享保雛の名)
  2. 日本大百科全書(ニッポニカ)「雛人形」(執筆:斎藤良輔)。コトバンク掲載。 https://kotobank.jp/word/%E9%9B%9B%E4%BA%BA%E5%BD%A2 (「雛人形」という名称は江戸時代に生まれたこと、ひいな遊びと形代の信仰が溶け合ったこと、『源氏物語』のひいな遊び、流し雛が今も残ること)
  3. 「上巳」の項目(デジタル大辞泉、百科事典マイペディア、精選版 日本国語大辞典、山川日本史小辞典、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)。コトバンク掲載。 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E5%B7%B3-1204868 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E5%B7%B3-79265 (陰暦3月最初の巳の日、のちに3月3日に固定したこと、「桃の節供」「雛の節供」の別名、人形に災厄を託して流したこと)
  4. 国立公文書館「アートコモンズ」掲載の、林原美術館の展示解説(2020年2月〜3月の展示)。 https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/63704 (江戸幕府が五節句を式日と定めたこと、もとは公家社会の年中行事だったこと、女子の健やかな成長と良縁を願う祝い)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。