1. 文鳥の ふるさとは どこなの?
1. 文鳥の故郷は、インドネシアの二つの島
1. 原産地はジャワ島とバリ島 ── 草原・農耕地・低木林という環境
文鳥の ふるさとは、インドネシアの ジャワ島と バリ島です[1]。日本から 見ると、ずっと 南の 島です。
すんで いるのは、草原や、はたけ・田んぼの まわり、ひくい 木の 林など、見とおしの よい 場所です[1]。高さ 1500メートルより 下の 場所で、人の 家の 庭にも 出て きます[2]。
ごはんは おもに 草の たねです。くだものや 小さな むしも 食べます[2]。
草の たねを ひろう 鳥だと 思うと、ふつうの 小鳥に 見えます。でも 文鳥は、田んぼと とくべつな かんけいが あります。田んぼで 何を して いたのでしょう。
文鳥の原産地は、インドネシアのジャワ島とバリ島です。国立環境研究所の侵入生物データベースは、生息環境を「草原・農耕地・低木林」と示しています[1]。標高1,500m以下の草原や開けた低木林にすみ、農耕地のまわりや民家の庭にも現れるそうです[2]。
食べ物は主に草の種子で、果実や小さな昆虫も食べます[2]。見通しのよい土地で草の種を拾う小鳥、というのが基本の姿です。
ところが、この鳥の暮らしを語る資料は、水田の話を欠かしません。文鳥と水田には、どんな関係があるのでしょうか。
文鳥の原産地はどこか。国立環境研究所の侵入生物データベースは、原産地をジャワ島とバリ島、生息環境を草原・農耕地・低木林と記す[1]。日本語版Wikipediaによると、標高1,500m以下の草原や開けた低木林にすみ、農耕地の周辺や民家の庭にも現れる。食べ物は主に草本の種子で、果実や小型の昆虫も食べる[2]。
ただし、辞典によって原産地の書き方は一致しない。日本大百科全書はスマトラ島など周辺まで分布すると記す[3]。この記事では国立環境研究所の記述に沿って、ジャワ島とバリ島を原産地として話を進める。
草の種を拾う小鳥と書くだけなら、水田は出てこない。それでも原産地の記述の多くに水田が現れるのはなぜか。
2. 田んぼで、文鳥は 何を して いたの?
2. 稲を食べる鳥の、大きな赤いくちばし
2. イネの大害鳥と、籾をむくくちばし ── 水田に集まる理由
ものしりの 本には、ふるさとの 文鳥は 人の すむ 町や むら、はたけ、田んぼ、海べの 林などに すんで いて、ごくふつうに 見られた、と あります[3]。地方に よっては、大きな むれで 田んぼに 来て イネを 食べて あらす ので、イネの 大きな がいちょうと されて いました[3]。
わけは、くちばしに あります。文鳥の くちばしは 大きくて 赤く、みのった イネの もみがらも むける ように できて いる、と イネの 研究所 IRRI の 記事は 書いて います[4]。
学名の うしろの ことば oryzivora は、「米を 食べる」と いう 意味だと いわれます[5]。
米を 食べる 鳥と 見ると、田んぼの そばに すむ わけが わかります。でも、田んぼが ふえるほど 文鳥が 楽に くらせた わけでは ない ようなのです。
世界大百科事典によると、原産地の文鳥は人里・耕地・水田・マングローブ林などにすみ、ごくふつうに見られる鳥でした。地方によっては大群で水田を荒らし、イネの大害鳥とされています[3]。ただし「ふつうに見られる」は事典が書かれた時点の話で、いまの野生の数を表す言葉ではありません。
水田に来る理由は、くちばしに表れています。IRRI(国際イネ研究所)の記事は、文鳥は大きな赤いくちばしを持ち、熟した稲でももみがらをむけるように適応していると説明します[4]。学名の oryzivora は「米を食べる」の意味だと英語版Wikipediaにあり[5]、名前にも稲との縁が出ています。
稲の実る水田は、稲を食べられる鳥にとって、えさ場として都合のよい場所のはずです。けれど、水田が広がれば文鳥にとって得になる、という単純な話ではないようです。
文鳥と水田の関係は、一見すると食べる側の勝ちに見える。世界大百科事典は、原産地では人里・耕地・水田・マングローブ林にすみ、ごくふつうに見られ、地方によっては大群で水田を荒らすイネの大害鳥だと述べる[3]。「ごくふつうに」は事典の記述時点のことで、現在の個体数を表すものではない。
水田で稲を食べられる理由は、くちばしにある。IRRIの記事は、文鳥の大きな赤いくちばしは、熟した稲でも籾殻をむけるよう適応していると述べる[4]。学名の oryzivora が「米を食べる」の意味だという説明は英語版Wikipediaにあり[5]、IRRIの記事が直接述べているのはくちばしのほうである。
こうして、文鳥は稲を食べる鳥として、稲を育てる人の水田と長く関わってきた。では、稲作の広がりは文鳥に有利に働いたのか。IRRIの記事は、そう単純ではないという見方を示している。
3. 巣は どこに かけるの?
3. えさ場の水田と、巣をかける木や建物の「境目」
3. 水田と樹木・建物の境目 ── 稲作の拡大が圧迫したという指摘
文鳥は、かれくさなどを 丸く くんで、まるい 巣を つくります。木の 上や 人の たてものに かけて、たまごを 5〜7こ うむ とも いわれますが、資料に よって かずは ちがいます[2]。むれで くらす 鳥です[6]。
文鳥の くらしには、ごはんを 食べる 田んぼと、巣を かける 木や たてものが、近くに ある ことが かかわって いると 考えられます。IRRI の 記事は、イネ作りが ふえて、田んぼと 木や たてものの さかいめが、せまく されて いったと いう 見方を のせて います[4]。
これは ひとつの 見方で、へって いる わけが これだけと いう ことでは ありません。では、この 鳥は いつ、どうやって 日本に 来たのでしょう。
文鳥は、枯れ草などを組み合わせた球形の巣を、木の上や建物にかけ、5〜7個の卵を産みます[2]。群れで暮らす鳥です[6]。卵の数は資料によって幅があり、国立環境研究所は1回に4〜5個、英語版Wikipediaは最大8個としています[1][5]。
つまり文鳥の暮らしには、食べ物のある水田と、巣をかける木や建物とが近くにあることが関わっていると考えられます。IRRIの記事は、稲作が広がるにつれて、鳥が食べる水田と、巣をかける木や建物との境目の環境が圧迫され始めた、と指摘しています[4]。稲を食べる鳥が、稲作の広がりで暮らしにくくなったという、意外な見方です。
これは一つの指摘で、野生が減った原因をこれだけに決める記述ではありません。では、この鳥はいつ、どうやって日本に来たのでしょうか。
巣と群れの習性は、水田との関係を考える手がかりになる。日本語版Wikipediaによれば、枯れ草などを組んだ球状の巣を樹上に作り、5〜7個の卵を産む[2]。FNPFのページは群れをつくる鳥としている[6]。卵数は資料で幅があり、国立環境研究所は1回4〜5個、英語版Wikipediaは最大8個とする[1][5]。
ここから、暮らしに関わると考えられる環境が見えてくる。採食の場である水田と、営巣の場である樹木や建物が近接していることだ。IRRIの記事は、稲作の増加が、鳥が餌をとる水田と、巣をかける木や構造物との境目(ecotone)の環境を侵食し始めた、と述べる[4]。
ただしこれは一つの指摘で、減少の原因を稲作の拡大と断定する記述ではない。ほかの要因は、あとで見る。では、この鳥はいつ日本に来たのか。
4. 日本には いつ 来たの?
4. 江戸時代に来て、名古屋の下級武士の内職になった
4. 江戸初期の渡来と、名古屋・弥富の繁殖 ── 飼い鳥になった道すじ
日本には、江戸時代の はじめごろ、中国を 通って 入って きたと いわれます[3]。
名古屋では、下級の 武士たちが 内職として、ひなを ふやす ように なったと いわれます[3]。江戸時代の おわりごろには、愛知県の 農家が、たくさん そだてたと いいます[3]。
むかしは 高い 鳥でしたが、ふえて いくと、ふつうの 人にも 手に 入る ように なりました。国立国会図書館の 資料は、そうした 鳥の たとえとして、カナリアと 文鳥を あげて います[7]。
こうして、田んぼで イネを 食べて いた 鳥は、日本の 家で かわれる 鳥に なりました。ところが、かごから にげる 鳥も います。にげた 鳥は、どう なるのでしょう。
文鳥は、江戸時代の初期に中国を経て日本に入ったといわれています[3]。はっきりした記録というより、そう伝えられている話です。
名古屋を中心に、下級武士が内職として巣引き(繁殖)をしたことで広まったといわれ、江戸末期には愛知県弥富の農家が大規模に生産したとされます[3]。
国立国会図書館の「江戸の鳥」の解説は、江戸後期に輸入された鳥が繁殖で増え、庶民も飼えるようになった例として、かつては高価だったカナリアや文鳥を挙げています[7]。
故郷の水田で稲を食べていた鳥が、江戸時代の日本では、かごで飼われる鳥になりました。けれど、飼い鳥は、ときに外へ出ます。外に出た文鳥は、どうなったのでしょうか。
日本への渡来は、江戸時代の初期に中国を経てといわれる。日本大百科全書・世界大百科事典の記述は、いずれも「といわれる」という伝承の形で書かれており、年次や経路は断定できない点に注意したい[3]。
広まり方は、より具体的に語られている。名古屋を中心に下級武士の内職として巣引きが普及し、江戸末期には愛知県弥富の農家が大規模に生産したという[3]。内職として成り立つほど、ひなを育てて譲る需要があった、と読める。
国立国会図書館の「江戸の鳥」は、江戸後期に輸入された鳥が繁殖によって数を増やし、庶民にも手が届くようになった例として、かつては高価だったカナリアと文鳥を挙げる[7]。稲を食べる原産地の鳥が、日本では繁殖を重ねて飼い鳥の暮らしを得たことになる。だが飼い鳥には、外へ出る場合がある。その行き先はどこか。
5. にげた 文鳥は、よそで くらせるの?
5. 逃げた文鳥は、世界各地と日本の野外でどうなったか
5. 世界に広がった個体と、日本で定着しなかった個体
かごから にげたり、はなされたり した 文鳥は、ふるさと いがいの 場所でも 見つかって います。ハワイ、プエルトリコ、フィリピン、マレーシアなど、世界の いろいろな 場所に ひろがったと されます[5]。
日本でも、にげた 文鳥が 外で ひなを そだてた 記録が あります。東京など 3つの 場所で 子そだての 記録が あり、東京では 1910年ごろから 見られました。でも 1990年代 いこうは すがたを 消し、ずっと すみつく ことは できなかった ようです[1]。
よその 場所で ふえた 鳥が いる 一方で、ふるさとの 野生は へって いる。ふしぎですね。ふるさとでは、今 どう なって いるのでしょう。
飼われていた文鳥が逃げ出したり放されたりして、原産地以外にも広がりました。ハワイ、プエルトリコ、フィリピン、マレーシアなどに広まったとされ、英語版Wikipediaは、ハワイ諸島・プエルトリコ・ジャマイカ・クリスマス島で定着した個体群を挙げています[5]。
日本の野外でも、逃げたり放されたりした飼い鳥が野生化したと考えられています。東京・大阪・兵庫で繁殖の記録があり、東京では1910年ごろから姿が現れました。しかし1990年代以降は姿を消し、定着には失敗したようだとされています[1]。これは過去の記録で、いまの日本の分布を示すものではありません。
よその土地には、飼い鳥から野外へ出た文鳥がいます。それなのに、肝心の故郷の野生はどうなっているのでしょうか。
飼い鳥の逃亡や放鳥は、原産地以外の分布をつくった。英語版Wikipediaは、ハワイ諸島、プエルトリコ、ジャマイカ、クリスマス島で定着した個体群を挙げ、ほかにフィリピンやマレーシアなどにも広まったとされる[5]。
日本の野外について、国立環境研究所は、愛玩・観賞用に輸入された飼い鳥が逃げたり放されたりして野生化したと考えられるとする。東京・大阪・兵庫に繁殖記録があり、東京では1910年ごろ現れたが、1990年代以降は姿を消し、定着には失敗したようだと述べる[1]。ここに書かれているのは過去の記録であり、現在の分布は別の資料で確かめる必要がある。
よその土地では野外の群れができる例がある一方、日本では定着しなかった。では、肝心の原産地の野生は、いまどうなっているのか。
6. ふるさとの 野生の 文鳥は、今 どう なって いるの?
6. 故郷の野生は減り、守る取り組みも行われている
6. 絶滅危惧(EN)と推定個体数 ── 減少の理由と、保護の取り組み
バリ島では、前は 島の あちこちで、とくに 田んぼで 文鳥が 見られました。でも 今は、さがしても 見つけにくく なって います[6]。
IUCN の リストでは、文鳥は 2018年に、「あぶない」から「もっと あぶない」ほうへ 上げられました[8]。大人の 鳥の かずは 1000〜2499わと 考えられ、へって いる ようすです[8]。
へって いる おもな わけは、かごの 鳥として 国の 中や 外へ 売る ために、つかまえる ことだと されます。何百年も つづいて きたと いわれ、すむ 場所が へる ことも 重なって います[8]。
守る 取り組みも あります。ジャワ島の ジョグジャカルタ では、2005年から 文鳥の かずと すむ 場所の 調べが つづいて います。2006年の 地しんの あとには、人工の 巣を つくる 取り組みも ありました[9]。バリ島の そばの ヌサ・ペニダ島では、保護した 100わが はなされ、野生で くらして いると いう 取り組みも あります[6]。
手のりで かわいい 文鳥の うしろには、田んぼの ある ふるさとで、数を へらしながら くらす 野生の なかまが います。
バリ島では、以前は島じゅうに、とくに水田に多かった文鳥が、いまは見つけにくくなったと、現地の団体FNPFのページは書いています[6]。
IUCNのレッドリストでは、2018年に危急(VU)から絶滅危惧(EN)に引き上げられました。成熟個体は1,000〜2,499羽と推定され、減少傾向です[8]。この数字は大人の鳥だけの推定値の幅で、野生の総数ではありません。
BirdLifeの解説では、主な原因は、かご鳥として国内外へ売るための捕獲で、数世紀続いてきたとされます。あわせて、生息地の減少もあり、地域によっては害鳥として捕獲もされているといいます[8]。第2章の「イネの大害鳥」という姿が、ここでつながります。
守る取り組みも行われています。ジョグジャカルタと中部ジャワでは、野生の個体群は1,000羽に満たない、分断された小さなものとされ、2005年から個体数と生息環境の調査が続いています。2006年の地震のあとには、人工の巣をつくる取り組みも行われました[9]。バリ島のそばのヌサ・ペニダ島では、保護した100羽が放され、野生で暮らしているという取り組みもあります[6]。
原産地の野生はどうなっているのか。FNPFのページは、バリ島では以前は全島、とくに水田に多かったが、いまは見つけにくいと書く。同じページは、ヌサ・ペニダ島に保護した100羽が放され、野生で暮らしているという取り組みも伝える[6]。
数の評価はIUCNレッドリストに頼ることになる。BirdLifeのデータゾーンによれば、2018年に危急(VU)から絶滅危惧(EN)へ引き上げられ、成熟個体は1,000〜2,499羽と推定され、減少傾向にある[8]。この幅は成熟個体のみの推定で、野生の総数ではない。
減少の理由は、一つではない。解説は、かご鳥として国内外へ売るための激しい捕獲が数世紀続いてきたこと、自然の生息地の減少が続いていること、地域によっては害鳥としての捕獲があることを挙げる[8]。地域によっては、稲を食べる害鳥として捕獲されることも、減少の理由に挙げられている。ここに第3章の、稲作が水田と木や建物の境目を圧迫したという指摘[4]が重なるかは、資料が結びつけて述べていない。
地域の保護も動いている。ジョグジャカルタと中部ジャワでは、2005年から個体数と生息環境の調査が続き、2006年の地震のあとに人工の巣を作る取り組みが始まった。この地域の野生の個体群は、1,000羽に満たない、分断された小さなものと説明される[9]。
7. ちずと 本で、文鳥の ふるさとを たしかめよう
7. 地図帳と公的なデータベースで、文鳥の故郷と野外の記録を確かめる
7. 原典に当たる ── データベースとレッドリストを読み比べる
ちずちょうを ひらいて、インドネシアの ジャワ島と バリ島を さがして みましょう。日本から ゆびで たどって みると、文鳥の ふるさとが どれくらい はなれて いるかが わかります。
家に ある ずかんや 本の 写真で 文鳥を 見つけたら、くちばしを 見て みましょう。大きくて 赤い くちばしが、イネの もみを むく ための ものだと 思うと、見え方が かわります。
国立環境研究所の ホームページには、文鳥の ことが のって います。おうちの 人と いっしょに ひらいて、日本で にげた 文鳥の ことを 読んで みましょう。
地図帳を開いて、ジャワ島とバリ島を探してみてください。日本から指でたどると、文鳥の故郷がどれほど遠いかが分かります。そのあたりの水田で稲を食べていた鳥が、江戸時代の日本まで来たことになります。
家にある図鑑や本の写真で文鳥を見つけたら、くちばしを見てみましょう。大きくて赤いくちばしは、籾をむくためのものといわれます。そう思って見ると、形の意味が見えてきます。
日本の野外での記録は、国立環境研究所の侵入生物データベースの文鳥のページにまとまっています。野生の現状は、IUCNのレッドリストで確かめられます。
この記事の中心は、原産地の環境と稲の関係、日本への渡来、現在の野生の減少である。事実は、国立環境研究所の侵入生物データベース[1]、辞典類[3]、IRRIの記事[4]、BirdLifeの解説[8]を組み合わせて組み立てた。
読み比べるときの目安を三つ挙げる。一つ目は、「ふつうに見られる」という古い辞典の記述と、いまの減少を分けること。二つ目は、1,000〜2,499羽が成熟個体だけの推定であること。三つ目は、稲作の拡大が圧迫したという見方が、一つの指摘にとどまることだ。
数字や区分は更新される。数字や区分は更新されるので、新しい報道や環境省・国立環境研究所など日本語の資料で、文鳥の区分が見直されていないかを調べるのが、最初の一歩になる。地図帳でジャワ島とバリ島を探し、水田の広がる土地を思い浮かべながら読むのもよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
資料は公的機関・保護団体・事典などで、読んだ範囲を用途とともに示します。
- 国立環境研究所 侵入生物データベース「ブンチョウ」 https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/20250.html (原産地・生息環境、日本の野外の記録)
- Wikipedia(日本語)「ブンチョウ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6 (生息環境、食べ物、巣と卵の数)
- 日本大百科全書・世界大百科事典「ブンチョウ」(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6 (原産地での暮らし、日本への渡来と繁殖)
- IRRI Rice Today(文鳥の記事) https://ricetoday.irri.org/?p=2871 (くちばしと、稲作の広がりとの関係の指摘)
- Wikipedia(英語)「Java sparrow」 https://en.wikipedia.org/wiki/Java_sparrow (学名の意味、卵の数、世界各地への広がり)
- FNPF(Friends of the National Parks Foundation)ジャワ文鳥のページ https://www.fnpf.org/what-we-do/fnpf-nusa-penida/wildlife-2/java-sparrow/ (バリ島での減少、群れ、放鳥の取り組み)
- 国立国会図書館 NDLイメージバンク「江戸の鳥」 https://www.ndl.go.jp/imagebank/column/edotori (江戸後期に庶民も飼えるようになった鳥)
- BirdLife DataZone「Java Sparrow」(IUCNレッドリストの評価を掲載) https://datazone.birdlife.org/species/factsheet/java-sparrow-padda-oryzivora (危険度の区分、成熟個体数、減少の理由)
- Relung Indonesia ジョグジャカルタの文鳥の調査 https://relungindonesia.org/en/2024/02/monitoring-of-the-population-and-habitat-of-the-java-sparrow-padda-oryzivora-in-yogyakarta/ (地域の調査と人工の巣)
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