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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ごはんの ナイフは、さきが どうして まるいの?

食卓のナイフの先は、なぜ丸いのでしょうか。石のかけらから鉛筆削りの小刀まで

食卓ナイフの先端はなぜ丸いのか:剥片石器から肥後守まで、用途が形を変えた道すじ

分野:歴史・文化

むかしの ヨーロッパでは、ごはんの ナイフの さきが とがって いました。その さきで、たべものを さして たべて いたと いわれます。

いまの ナイフは、なぜ まるく なったのでしょう。この ページを よむと、まるく なった わけと、ナイフの もっと むかしの すがたが わかります。

中世のヨーロッパでは、食事用のナイフの先は細くとがっていて、その先で食べ物を刺して口へ運ぶ人がいました。しかも、客は自分のナイフを持って食事に出かけるのがふつうでした。

では、先が丸くなったのはなぜで、そのナイフはもともとどんな形だったのでしょう。この記事を読むと、丸くなった理由、2つの伝承の読み方、そして石のかけらから日本の肥後守までの道すじが分かります。

中世ヨーロッパの食卓ナイフは細身で先がとがり、その先で食べ物を刺して口に運ぶ道具だった[5]。しかも客は、自分の刃物を持参して食事の席についていたという[6]。

では、先が丸くなったのは何のためか。リシュリュー説とルイ14世の禁止令という2つの伝承は、どこまで確かなのか。この記事を読むと、丸い先の理由と、約290万年前の石のかけらから肥後守までの用途の変化が分かる。

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1. むかしの ナイフは、さきで さして たべた

1. 先でさして食べていた時代の、食卓ナイフ

1. 食卓ナイフが刺す役目を担い、フォークが広まった時代

むかしの ヨーロッパの ナイフは、ほそくて、さきが するどく とがって いました[5]。ナイフの さきで、おにくなどを さして、くちまで はこんだのです。

ところが、フォークを つかう 人が ふえて きました。たべものを さすのは フォークの しごとです。そう なると、ナイフの さきを とがらせて おく わけが なくなりました。

フォークが ひろまったことも、さきが まるくなった わけの ひとつと いわれます。ごはんの ナイフは、「さす」しごとを フォークに わたし、「きる」ための どうぐに なって いきました。

では、そのころの 人は、ごはんの とき ナイフを どうして いたのでしょう。

とがった先には、役目があった

いまの食卓ナイフを思い浮かべると、先は丸くなっています。ところが中世のナイフは細く、先が鋭くとがっていました。その先で食べ物を刺し、そのまま口へ運んでいたと説明されています[5]。

とがった先は、乱暴なものではなく、食べるための役目をもっていたのです。

フォークが、ナイフの先を自由にした

やがてフォークが使われるようになると、食べ物を刺す役目はフォークに移りました。ナイフの先をとがらせておく必要がなくなったのです[5]。丸い先は、刺さなくてよくなったことから生まれた形だと読めます。

では、このナイフを、人々はどこから食卓に持ってきたのでしょうか。

食卓ナイフの先端が丸い理由を考えるには、まず、とがっていた時代の使い方を知る必要がある。中世の食卓ナイフは細身で、鋭い先端で食べ物を刺し、口へ運ぶために使われた[5]。刃物であると同時に、フォークの代わりでもあったことになる。

そのため、フォークが使われ始めると事情が変わる。刺す仕事をフォークが引き受ければ、ナイフは切るだけでよく、先をとがらせる理由が消える[5]。先端の形は、刃物の性能そのものより、食卓での役割分担に左右されたと整理できる。ただし、この出典は食器の歴史を概説した資料で、フォークの普及時期までは述べていない。

では、そのナイフは誰が用意し、どこから食卓に持ち込まれたのか。

2. ごはんに よばれたら、じぶんの ナイフを もって いく

2. 食事に招かれたら、自分のナイフを持っていく

2. 食卓用ナイフがなかった時代:持参という習慣

いまは おみせでも いえでも、ナイフが ならべて あります。でも むかしは ちがいました。ごはんに よばれた 人は、じぶんの ナイフを もって いったのです[6]。

ナイフは、ちいさな はこに いれて いたと いいます。ふだんから、さやに いれて もちあるく 人も おおかったそうです[5]。

おうちの 人が みんなの ぶんの ナイフを ならべる ように なったのは、17せいきには、おかねもちの 人たちの あいだで ひろまった ならわしと いわれます[6]。

では、ナイフの さきを まるく したのは だれなのでしょう。

ナイフは「持ち物」だった

いまなら、食事の席にはナイフもフォークも用意されています。しかし昔のヨーロッパには、食卓専用のナイフという考え方はあまりなく、客は自分の刃物を、小さな入れ物に入れて持っていったと説明されています[6]。多くの人が、自分のナイフを鞘に入れて持ち歩いていたとも書かれています[5]。

17世紀には、身分の高い人たちの間で、主催者が客のために食器を並べる習慣が広まったとされます[6]。

持ち物から、食卓の道具へ

自分の持ち物なら、形は持ち主の好みと用途で決まります。ところが、主催者が全員の分を用意する時代になると、同じ形のナイフが何本も並びます。そこで、先がとがっていると具合の悪いことが起きても不思議ではありません。

では、先を丸くした人は、本当にいたのでしょうか。

現代の感覚では、食事の席にはナイフが用意されているものだが、昔はそうではなかった。西洋では長く、食卓用の特別なナイフはなく、客が自分の刃物を小箱(cadena)に入れて持参したと説明される[6]。多くの人が自分のナイフを鞘に入れて持ち歩いていた、という記述もある[5]。

主催者が食器を並べる習慣は、17世紀にはエリート層で広まったとされる[6]。つまり、食卓ナイフは個人の持ち物から、席に置かれる共通の道具へ移ったことになる。

この移り変わりは、先端の形を考えるうえで見逃せない。個人の刃物なら用途は持ち主が決めるが、並べて出す道具には、同じ席の人に向ける先の形が問われやすい。ただし、この点は出典が直接述べているわけではなく、2つの記述から導いた筆者の推論である。

では、先を丸くしたのは誰で、いつだったのか。伝承が2つ残っている。

3. まるく した 人は、だれ? ふたつの おはなし

3. 先を丸くしたのは誰か。リシュリューとルイ14世の伝承

3. 丸い先の起源をめぐる2つの伝承:リシュリュー説とルイ14世の禁止令

ひとつめは、フランスの えらい 人、リシュリューの はなしです。1637ねんごろ、ごはんの あと、ナイフの さきで はを つつく 人を やめさせる ために、まるく させたと つたえられて います[6]。でも、たしかな きろくは すくないそうです。

ふたつめは、フランスの 王さま ルイ14せいの はなしです。1669ねん、さきの とがった ナイフを きんしして、まるく させたと いいます[5]。

ただ、この きんしが どこまで ひろがって いたかは、しりょうに よって ちがいます。まちの なかだけ、ごはんの ときも、ある ちいきだけ、と いろいろです。

ですから、「この 人が ひとりで きめた」と 言いきるのは むずかしいのです。フォークが ひろまった ことと、きまりが かさなって、まるい さきが ふつうに なったと いう せつめいも あります[7]。

では、ナイフは いつから あったのでしょう。

伝承その1:リシュリューと歯のつまようじ

1637年ごろ、フランスの枢機卿リシュリューが、食卓で客がナイフの先で歯をほじるのをやめさせるために、先を丸くさせた、という話が伝わっています[6]。ただし、確かな記録は乏しい伝承で、「リシュリューが作った」と言い切ることはできません。

伝承その2:ルイ14世の禁止令

もうひとつは、1669年にフランス王ルイ14世が、先のとがったナイフを禁じて先を丸くさせた、という話です[5]。争いごとを減らすねらいがあったとされます。ただし禁止の範囲は、街頭と食卓の両方とするものや、フランドル地方の領地に限るとするものがあり、資料によって食いちがっています[6]。

決め手は、1人の命令だけではなさそう

丸い先のナイフは、1669年の禁止令と、フォークの広まりが合わさって定着した、という説明があります[7]。これは別の本の内容を紹介したものなので、原典にあたるまでは「そう述べたとされる」にとどめます。

2つの伝承と前の章を合わせると、丸い先は、先が要らなくなったこと、あまり好ましくない使い方が目立ったことなどが重なって広まった、と読めます。では、ナイフそのものは、いつどこで生まれたのでしょうか。

先端を丸くした人物については、伝承が2つある。1つは、1637年ごろ枢機卿リシュリューが、客が刃先で歯をほじる癖をやめさせるために始めたというものだ[6]。ただしこれは確かな記録に乏しい伝承で、リシュリューの発案と断定できない。

もう1つは、1669年にフランス王ルイ14世が、街頭や食卓で先のとがったナイフを禁じたという話である[5]。暴力を減らすねらいとされる。ところが禁止の範囲は資料で食いちがい、一方は街頭と食卓の両方、他方はフランドル地方の領地だけと書く[6]。そのため「フランス全土の食卓で丸くなった」と読むのは、この資料の範囲では早い。

さらに、ペトロスキ(The Evolution of Useful Things)が、この禁止令にフォークの普及が重なって、食卓ナイフの丸い刃先が定着したと述べた、という紹介がある[7]。ただしこれは孫引きの要約で、原本の確認は済んでいない。

整理すると、第1章で見た「先を尖らせる理由の消失」が背景にあり、そこに2つの伝承が語る「先を向けることへの配慮」が加わった、という筋が見える。これは出典を並べて導いた読み方で、いずれの資料も因果をそこまで明言していない。

では視点をさらに過去へ戻し、ナイフに近い道具は、いつどこで現れたのか。

4. いちばん ふるい「ナイフの ごせんぞ」は、石の かけら

4. 約290万年前、カバの骨に残った切り傷

4. 最古級の石器と、カバの骨の切り傷:ニャヤンガ遺跡

アフリカの ケニアに、ニャヤンガという ばしょが あります。ここで、いまから 290まんねん ぐらい まえの 石の どうぐが、見つかりました[1]。

いっしょに あった カバの ほねには、きりきずが ありました。石の どうぐで にくを きったり、しょくぶつを たたいたり して いたと かんがえられて います[1]。

ただし、これを いまの ナイフと おなじ ものと 言うのは、ちょっと ちがいます。「ものを きる どうぐ」の、とても ふるい ごせんぞ、という ことです。

だれが つくったのかは、まだ きまって いません[1]。

石のかけらが、ものを切った

ケニアのニャヤンガ遺跡で、約260万〜300万年前(いちばん確からしい推定は約290万年前)の石器が、切り傷のあるカバの骨と一緒に見つかりました[1]。石の鋭い縁で動物の肉を切り、植物をたたくなどして使われたとされます。

石器は、石を打ち割ってできたかけらの縁を、そのまま刃として使うものです。刃を研ぐのではなく、割ったときにできる鋭い縁を利用します。

ナイフの「祖先」とは言っても

これを、現代のナイフの祖先と呼ぶのは比喩です。「ナイフ」の最古を何と定義するかは、研究者によって異なります。また、石器を作ったのが誰かは決まっておらず、議論が続いています[1]。

では、石のかけらはどのように形を変えて、ナイフの形に近づいたのでしょう。

ナイフに当たる道具は、いつ現れたのか。Plummerらの2023年の報告によれば、ケニアのニャヤンガ遺跡から、約260万〜300万年前(最良の推定は約290万年前)のオルドワン石器が、切り傷のあるカバの骨と一緒に見つかった[1]。石器は動物の肉を切り、植物をたたくなどの処理に使われたとされる。

この論文について、要旨の紹介は、これらの石器が東アフリカで従来知られていたエチオピアのアファール地域から1300km以上広く分布し、肉・骨髄・植物の処理に使われたことを示す、と伝える[2]。

ここで注意したいのは、石器を現代のナイフと同じものと呼ばないことだ。「ナイフ」の最古をどう定義するかは研究者で異なり、石のかけらを「祖先」と呼ぶのは比喩にとどまる。作った者も確定しておらず、ホモ属以外の可能性も議論されている[1]。

では、この「割ってできた縁」は、その後どのように整えられたのか。

5. ほそ長く わって、えを つける

5. 細長く割る工夫と、柄をつける工夫

5. 石刃という素材と、着柄:形を整える工夫

石を わるとき、ほそ長い かけらを つくる ほうほうが うまれました。これを「せきじん」と いいます。ながさが はばの 2ばい いじょうの かけらです[3]。

日本でも、3まんねん ぐらい まえから、せきじんを つかった ナイフの かたちの 石の どうぐが つくられました[3]。

もうひとつの くふうは、「え」です。南アフリカでは、50まんねん ぐらい まえの 石の やりの さきに、えを つけた あとと あう ものが あります[4]。ただし、これは やりの さきの はなしで、ナイフの えとは 言いきれません。

では、日本の 子どもたちは、どんな ナイフを つかって いたのでしょう。

細長い石刃

石を割って細長いかけらをとる方法があります。長さが幅の2倍以上のものを石刃といいます。日本列島では約3万年前から、ナイフ形石器などの素材になりました[3]。

細長ければ、同じ石から多くの刃がとれ、手に持つ形も整えやすくなります。ただしこの点は出典が述べるものではなく、形から考えた予想です。

柄という工夫

南アフリカのカトゥ・パン1遺跡では、約50万年前の石の尖頭器が見つかっています。槍先として使われ、一部は根もとの加工が、柄への取りつけと合うと報告されました[4]。それまで、柄をつけた槍先は約30万年前以降が一般的と考えられていました。

これは槍先の例で、ナイフの柄がいつ始まったかとは別の話です。柄をつける工夫が、約50万年前の槍先に例がある、というところまでが言えることです。

石や金属の刃が、人の手に持ちやすい形になっていく。その行き着いた先のひとつが、日本の子どもたちの道具でした。

刃を作る素材は、どう工夫されたのか。石刃は剥片石器の素材で、長さが幅の2倍以上の細長い剥片をいう。日本列島では約3万年前からナイフ形石器をはじめ、尖頭器(せんとうき)やスクレーパーなどの素材になった[3]。細長い剥片を決まった形でとれれば、同じ石から似た刃を多く作れる。ただしこれは形から導いた見方で、出典の明言ではない。

もう1つの工夫が柄である。南アフリカのカトゥ・パン1の石の尖頭器(約50万年前)は、槍先として使われ、一部は基部の加工が着柄と整合すると報告された[4]。それまで着柄の槍先は約30万年前以降が一般的とされていた。これは一部の尖頭器についての報告である。

注意したいのは、これが槍先の例にとどまり、ナイフの柄の最古は特定できないことだ。ここから言えるのは、柄をつける工夫が約50万年前の槍先に例がある、という範囲までである。

石の縁を使う、細長く割る、柄をつける。刃物は、使う人の手と用途に合わせて少しずつ形を変えた。その延長に、日本の子どもが手にした折りたたみ小刀がある。

6. えんぴつを けずって いた ナイフ「ひごのかみ」

6. 鉛筆を削った折りたたみ小刀、肥後守

6. 肥後守:鉛筆を削る小刀の用途と、1軒だけ残った製造元

むかしの 日本の 子どもは、ナイフで えんぴつを けずって いました。その ナイフの ひとつが「ひごのかみ」です。たためる ちいさな ナイフで、くだものの かわを むいたり、たけとんぼを つくったり しました[8]。

ひごのかみは、ひょうごけんの みきしで つくられて います。いまは、ながおという せいさくじょが、ほぼ 1けんだけで つくりつづけて います[8]。1894ねんに はじまった みせです。むかしは みきに 40けんぐらい あったのに、のこったのは この 1けんです[8]。

でんきの えんぴつけずりや カッターが ふえて、ひごのかみを つかう 人は へりました[8]。それでも、つくる 人たちが のこって いるのです。

さいごに、おうちの ナイフを さがして みましょう。

子どもの筆箱に入っていた小刀

肥後守は、兵庫県三木市で作られる折りたたみ式の小刀です。鉛筆を削り、果物の皮をむき、竹とんぼを作るなど、暮らしの中で使われてきました[8]。金物問屋が他の地方から持ち帰った小刀を、三木の職人が折りたたみ式に改良したとされます[9]。熊本(旧国名で肥後)での人気にちなんで商標を登録したともいいます[9]。

40軒から1軒へ

いま肥後守を作るのは、ほぼ永尾かね駒製作所の1軒です。1894(明治27)年の創業で、三木では約40軒あったメーカーが、同社を除いてなくなりました[8]。1960年代以降の刃物を子どもから遠ざける動きや、電動鉛筆削りとカッターの普及で、需要が大きく減ったためです[8]。

鉛筆削りやカッターが広まっても、肥後守を作り続ける人がいます。刃物の形は、昔話ではなく、今も続く暮らしの中にあります。

子どもの手に近い刃物は何か。肥後守は、兵庫県三木市の折りたたみ小刀で、鉛筆を削り、果物の皮をむき、竹とんぼを細工する道具として使われた[8]。起源は、金物問屋が他地方から持ち帰った小刀を、三木の職人が折りたたみ式に改良したとされ、熊本(旧国名・肥後)での人気にちなんで商標登録したという[8][9]。名の由来は、熊本での人気にちなむともいう程度にとどめる。

現在は、永尾(ながお)かね駒製作所がほぼ1軒で作り続ける。同社は1894(明治27)年の創業で、三木に約40軒あったメーカーは同社を除いて廃業した[8]。減った理由は、電動鉛筆削りやカッターの普及で需要が激減したこと、1960年代以降の刃物追放運動である[8]。つまり、使いみちが他の道具に移ったことや刃物を遠ざける動きが、作る人の数にも影響した。

ここまで見ると、食卓ナイフ(先を丸く)、石の剥片(縁を刃に)、肥後守(折りたたんで携帯)のどれも、形が用途に合うよう決まっていることが分かる。逆に、用途が消えたとき、形を作る仕事も細くなる。

次は、身近な刃物で、形と用途の関係を自分の目で確かめられる。

7. おうちの ナイフの さきを くらべて みよう

7. 家の刃物の「先」を見比べる

7. 身近な刃物で、形と用途の関係を確かめる

おうちの 人に たのんで、ごはんの ときに つかう ナイフと、だいどころの ほうちょうを、見せて もらいましょう。さわる ときは、かならず おとなと いっしょに します。ばしょは、つくえの 上で、はの ほうへは 手を のばしません。

さきの かたちを、よこから 見くらべます。まるいか、とがって いるか。それは、どんな ことに つかう ためでしょう。ひとつ、かんがえて みてください。

ナイフを 見る 目が、すこし かわるかも しれません。

刃物の先を見比べる

家にある食事用のナイフ、果物ナイフ、包丁を、大人に出してもらい、机の上に並べて、横から先の形を見比べます。刃には触れず、見るだけにします。

先は丸いか、とがっているか。その形は、何をするためのものでしょうか。この章で見た「刺す」「切る」の役割分担を手がかりに、自分の考えを一言で書いてみましょう。

原典を読むなら

丸い先のきっかけとされるリシュリューやルイ14世の話は、出典欄の資料でも伝承や説として書かれています。禁止令の範囲のように資料で食いちがう点は、原典にあたるといちばん面白くなります。

身近な刃物の先端を見比べ、用途と形の関係を確かめる。家にある食事用ナイフ、果物ナイフ、包丁を、大人に出してもらって机に置き、刃に触れず、横から先端を見る。先端は丸いか、とがっているか。この記事で扱った「刺す/切る」の役割分担に当てはめ、なぜその形なのかを自分の言葉で説明できるか試す。

資料を読むなら、次の点が手がかりになる。食卓ナイフの先端については、リシュリュー説とルイ14世の禁止令がともに伝承・説として語られ、禁止の範囲は出典で食いちがう。ペトロスキの記述は孫引きの紹介にとどまる。原典の確認が、この話題でいちばん面白く、いちばん手間のかかる部分である。

ニャヤンガ遺跡については、Plummerら(2023, Science 379:561)の原論文に、石器の年代と切り傷の観察が書かれている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・名称・範囲は、資料によって細部が異なることがあります。

  1. Max Planck Institute of Geoanthropology, Stone tools to butcher hippos https://www.gea.mpg.de/39185/stone-tools-to-butcher-hippos (ニャヤンガ遺跡の石器とカバの骨。Plummer et al. 2023, Science 379:561)
  2. Liverpool John Moores University Repository, ニャヤンガ論文の記録 https://researchonline.ljmu.ac.uk/id/eprint/18616/ (論文要旨。分布範囲の記述)
  3. コトバンク「石刃」 https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E5%88%83 (石刃の定義、日本列島での時期)
  4. PubMed, Wilkins et al. 2012, Science(カトゥ・パン1の尖頭器) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23161998/ (約50万年前の槍先と着柄の可能性)
  5. California Academy of Sciences, 食器の歴史(knives) https://research.calacademy.org/research/anthropology/utensil/knives.htm (中世のナイフの先、フォークの普及、ルイ14世の禁止令)
  6. Wikipedia, Table knife https://en.wikipedia.org/wiki/Table_knife (客の持参、リシュリュー伝承、禁止令の範囲。二次資料)
  7. Tedium, Steak knife history https://tedium.co/2017/08/22/steak-knife-history/ (ペトロスキの説の紹介。孫引き)
  8. 神戸新聞 ブンコレ(2020) https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/bizplus/buncolle/202007/0013539185.shtml (肥後守の用途、製造元、需要の変化)
  9. マイナビニュース(2024) https://news.mynavi.jp/article/20240621-2953330/ (肥後守の改良と商標の経緯)

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