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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

数千年まえの ひつじや ぶた、うしは、なにを たべて いたの?

新石器時代の羊や豚や牛は、何を食べていたのでしょうか

新石器時代、12頭の羊のうち3頭に海藻の手がかり ── 骨と歯から読む家畜の食事

分野:歴史・文化

スコットランドの しまで、むかしの ひつじの ほねを しらべると、12とうの うち 3とうに、かいそうを たべた あとが 見つかりました。そのうち 2とうは 新石器時代しんせっきじだいの ひつじです[1]。

ひつじが かいそう? ほかの かちくは、なにを たべて いたのでしょう。この ページを 読むと、むかしの どうぶつの ごはんは、ばしょと どうぶつに よって ちがい、人が よういした えさも ありそうだと 分かります。

スコットランド北部のオークニー諸島で、羊の骨を調べたところ、12頭のうち3頭に、海藻を食べたことを示すと考えられる値が出ました。そのうち2頭は新石器時代の羊です[1]。数千年前の羊の骨に、海藻を食べた手がかりが残っていたのです。

では、ほかの地域の家畜は何を食べていたのでしょうか。木の葉、沼の植物、キビまで、食べ物は地域と動物の種類でちがい、人が用意したえさの手がかりもあると分かります。

オークニー諸島クアンタネスで分析した羊12頭のうち3頭に、海藻の摂取を示す高い炭素同位体比(δ13C)が出た。そのうち2頭は新石器時代、1頭は銅石器時代から前期青銅器時代の個体である[1]。この値は、陸の植物だけでは説明がつかないとされる。

では、この例は特別なのか。ほかの遺跡の家畜は何を食べていたのか。調べると、食べ物は地域と動物の種類で大きくちがい、保存した作物の副産物など、人の手が加わったと考えられる例もある。一方で、同位体から決められないこともある。

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1. ひつじの ほねに、かいそうの あとが あった

1. 羊の骨に、海藻を食べた跡が残っていた

1. クアンタネスの羊 ── 12頭中3頭に出た、海藻摂取を示す値

どうぶつの ほねや 歯には、たべた ものの せいぶんが すこし のこります。ほねを しらべれば、そのどうぶつの ごはんを さぐる ことが できるのです。

スコットランドの オークニーの しまでは、12とうの ひつじの うち 3とうに、かいそうを たべた ときの せいぶんが 出ました。そのうち 2とうが 新石器時代しんせっきじだいの ひつじです[1]。

ふしぎなのは、せいぶんが 高かった ひつじが、みんな 生まれて 3か月ぐらいより わかかった ことです。生まれる 前の ときに、かんけいが あるのかも しれません[1]。

お母さん ひつじが たべたのか、人が かいそうを あげたのか。いまの ところ、はっきり 決まって いません。

動物の骨や歯には、食べたものの成分が残ります。炭素の仲間(同位体)の比率を測ると、陸の草を食べたのか、海藻を食べたのかを、ある程度見分けられます。クアンタネスでは、調べた羊12頭のうち3頭が、海藻を食べた可能性が高いと考えられる値でした。年代は、2頭が新石器時代、1頭が少しあとの銅石器時代から前期青銅器時代と考えられています[1]。

さらに面白いのは、値が高かった羊がみな、生後およそ3か月より若かったことです。海藻を食べたことは、生まれる前の時期と関係しているらしい、と研究者は考えています[1]。

母羊が海藻を食べたのか、冬に人が与えたのかについては、証拠が食いちがっています。羊が自分から海辺に出たのか、人が運んだのかも決まっていません。ただ、少なくとも一部の羊は、陸の草だけを食べていたわけではありませんでした。

では、ほかの場所の家畜は、どんなものを食べていたのでしょうか。

骨コラーゲンの炭素同位体比(δ13C)は、食べたものの種類を反映する。クアンタネスで分析した羊12頭のうち3頭は、δ13Cが高く、論文は海藻の摂取を示す値だとする。年代づけでは、2頭が新石器時代、1頭が銅石器時代から前期青銅器時代である[1]。

注目すべきは年齢である。値の高い個体はすべて生後約3か月未満で、海藻の摂取は出生前の時期に関係すると読める[1]。そのため、授乳期の子羊が直接食べたのではなく、母羊の食事が反映した可能性がある。ただし、母羊経由か、冬の直接の給餌かについては、証拠は食いちがっており、結論は出ていない。

なお、12頭中3頭という比率は、特定の遺跡の一部のサンプルでしかない。海藻を食べる習慣が島の羊の標準だったとまでは言えない。では、陸の遺跡の家畜はどうか。

3. 冬の えさは、だれが よういしたの?

3. 草のない冬に、人は何を与えたのか

3. 冬の給餌 ── 見つかる例と、見つからない例

冬は 草が かれます。そこで、人が 冬の えさを 用意して いた ところも あります。

オランダの いせきでは、ときどき 冬に えさを あげて いた ようです[5]。ルーマニアの いせきでは、うし 1とうが、冬に 木の 葉を たべた しるしが ありました[6]。スペインの ラ・ドラガでは、とっておいた 作物の のこりを、ヤギや うしが たべた かもしれません[3]。

でも、スペインの ほかの いせきでは、うしが 山の 草を たべて いて、冬の えさを あげた しるしは 見つかって いません[7]。

草が枯れる冬の食料は、家畜を飼ううえでの大きな課題です。遺跡ごとに、ちがう答えが出ています。

オランダのスキップルイデンでは、ときどき冬の給餌が行われていました[5]。ルーマニアのマグラ遺跡では、歯のエナメルの分析から、冬に木の葉を食べた牛が1頭いたことが分かりました[6]。スペインのラ・ドラガでは、ヤギと牛が保存された作物の副産物を食べていた可能性があります[3]。スペインのコーロ・トラスィト(約6500〜7500年前)でも、余った農産物が餌になった可能性が指摘されています[8]。

反対に、スペインのコーバ・デ・レス・ピクサレス(紀元前3942〜3632年)の牛は、開けた土地や山の草地の植物を主に食べ、補助的な餌や牧草地の集約的な利用の跡は見つかっていません[7]。

冬のえさを用意する地域と、しない地域があった。そう考えると、家畜の飼い方は一つではなかったようです。

草のない冬、家畜に何を食べさせるかは大きな課題だった。遺跡からは、地域によって異なる手がかりが見つかっている。

肯定的な例として、スキップルイデンでは冬の給餌が時折あった[5]。マグラ遺跡では、歯のエナメルの分析から、牛1頭が冬に葉を食べていたことが示された。ただし、その部分がC3植物とC4植物のどちらに由来するかは決められなかった[6]。ラ・ドラガでは、ヤギと牛が保存された作物の副産物を食べた可能性がある[3]。コーロ・トラスィト(約6500〜7500年前)でも、農業の余剰生産物が飼料になった可能性が述べられる[8]。

否定的な例が、コーバ・デ・レス・ピクサレス(紀元前3942〜3632年)である。牛の食事は主にC3植物(開けた土地や山の草地に生える)で、補助的な給餌や牧草地の集約的な利用の兆候はなかった[7]。つまり、冬の給餌は広く行われたというより、地域や集団で差があった。

注意点として、これらは骨や歯の分析結果による推定であり、「可能性がある」と書かれたものが多い。では、豚はどうだったのか。

4. ぶたは、キビを たべて いた

4. 中国の豚はキビ、近東の豚は特別な飼料

4. 豚の飼育 ── キビの副産物と、人の残飯ではない飼料

中国の シポという いせきでは、ぶたの ごはんは、キビが ほとんどでした[9]。キビは、こくもつの 一つです。

キビの ふすま(ぬかの ところ)や くき、はなども、えさに していたかも しれません。こうした えさは、ぶたを まるまる ふとらせる ために 大切だった と 考えられて います[9]。

中東の ほうの いせきでは、ぶたは 人の たべのこしでは なく、まめの なかまなど、とくべつな えさを もらって いたようです[10]。

ぶたも、人が 考えた ごはんを もらって いたのですね。

中国の仰韶文化期(いまから7000〜5000年前)のシポ遺跡では、豚の食事はキビを中心とする食べ物に支配されていました[9]。キビの実だけでなく、ふすま(ぬか)、葉、茎などの副産物も与えて豚を太らせていた可能性が高いと、論文は述べています[9]。

近東の新石器時代の豚は、人の残飯や排泄物ではなく、マメ科の植物など特別な食べ物を与えられていたと報告されています[10]。ただ、具体的にどの植物なのかは特定されていません。

豚は雑食で、人の食べ残しを食べるイメージがあります。でも、実際には人が考えて用意した食べ物を与えられた例が、遺跡の成分から見えてきました。

中国中部の仰韶文化期(7000〜5000 BP、BPは現在から数えた年)のシポ遺跡では、豚の食事はキビ由来の食物に支配されていた。穀物だけでなく、ふすま(ぬか)、葉、茎などの副産物も、豚を肥育するうえで重要だった可能性が高いと論文は述べる[9]。

これに対し、近東では、豚は人の残飯や排泄物ではなく、マメ科植物など特別な餌を与えられていたと解釈されている[10]。ただし、具体的な植物種は特定されていない。

この2例では、豚は人の残飯ではなく、人が選んだ餌を食べていた。一方で、これを全地域に一般化することは、資料からは言えない。

5. おなじ むらでも、どうぶつごとに ごはんが ちがう

5. 同じ集落でも、羊と牛では食べ方がちがった

5. 動物の種類ごとの差 ── ヴィンチャとチャタルホユク

セルビアの ヴィンチャの いせきでは、ひつじと ヤギは、いつも だいたい おなじ ような くさを たべて いました。うしは、きせつで たべものが 大きく かわり、冬に 葉の ついた ほし草などを もらった うしも いたようです[11]。

トルコの チャタルホユクでは、かちくの いた かこいの 土から、木の 葉を たべた あとと、くさを たべた あとの どちらも 見つかりました[12]。

むらの 人は、どうぶつごとに、ちがう 世話を して いたのかも しれません。

セルビアのヴィンチャ文化の2遺跡(ヴィンチャ=ベロ・ブルドとストゥブリネ、後期新石器時代)では、羊とヤギは牧草地の種類があまり変わらず、牛は変化が大きいという結果が出ました。冬に葉のついた干し草などの補助飼料をもらった牛もいたらしい、と報告されています[11]。

トルコ中部のチャタルホユクでは、囲いにたまった堆積物の中の、植物の細胞にできるガラス質の粒(ファイトリス)が調べられました。木の葉を食べた食事と、草を食べた食事の両方が見つかり、家畜の食事は場合によって大きく変わったようです[12]。

家畜の食事は、地域だけでなく、動物の種類でも変わります。当時の人は、動物ごとに飼い方を変えていたのでしょうか。

ヴィンチャ文化の2遺跡(ヴィンチャ=ベロ・ブルド、ストゥブリネ。後期新石器時代)では、歯を輪切りのように順に分析して、季節ごとの食事の変化を調べた。羊とヤギは牧草地の種類の変動が小さく、牛は変動が大きかった。冬に葉つきの干し草などの補助飼料を与えられた牛がいたらしい[11]。

アナトリア中部の初期新石器時代のチャタルホユクでは、囲いの堆積物に含まれるファイトリス(植物の細胞内にできるガラス質の粒)から、双子葉植物(葉を食べる食事)とイネ科(草を食べる食事)の両方の食事が見つかり、家畜の食事は非常に多様だった[12]。

これらは、動物の種類によって食事がちがった可能性を示す。ただし、遺跡が違えば、同じ種類でも結果がちがう。たとえば、スキップルイデンの牛は塩性湿地、ピクサレスの牛は山の草地の植物が中心だった。種類の差か、地域の差かは、資料ごとに切り分けて読む必要がある。

6. ほねから 分かる ことと、まだ 分からない こと

6. 骨と歯の成分から分かることの限界

6. 同位体分析の限界 ── 決められなかったこと

ほねの せいぶんで 分かるのは、「くさを たべたか」「かいそうを たべたか」と いった 大まかな ことです。

ルーマニアの いせきでも、うしが 冬に たべた 葉が どんな 植物 だったかは、決められませんでした[6]。

ひつじの かいそうは、お母さん ひつじが たべたのか、人が あげたのか、まだ 分かって いません[1]。ぶたの まめも、どの まめなのか 分かって いません[10]。

分からない ことが まだ あるから、もっと しらべたく なりますね。

骨や歯の成分は、「どんな種類の植物を食べたか」の大まかな手がかりを与えます。しかし、細かい種類までは決められません。ルーマニアのマグラ遺跡では、冬の葉の給餌があった牛について、その部分がC3植物とC4植物のどちらに由来するかが決められませんでした[6]。

羊の海藻が、母羊を通じたものか、冬の直接の給餌かは、証拠が食いちがっています[1]。近東の豚の飼料も、マメ科とまでは言えても、どの植物かは特定されていません[10]。エル・トロの羊が塩分の多い場所へ行ったことも、人の管理なのか自然な移動なのかは決まっていません[4]。

分かっていることと、まだ決まっていないことを分けて読むと、1つの遺跡の結果を、他の地域にそのままあてはめない見方が身につきます。

同位体分析は、食物の大分類(陸の草、海産物、キビなど)を区別するのには有効だが、細かい植物種までは決められない。マグラ遺跡では、冬の葉の給餌があった牛1頭について、その貢献がC3植物とC4植物のどちらに由来するかを決められなかった[6]。

未解決の問いも多い。オークニーの羊の海藻は、妊娠中の母羊経由か、冬の直接給餌かで、証拠が食いちがう[1]。近東の豚の飼料は、マメ科と推定されるが種は不明である[10]。エル・トロでは、塩分の多い地域の植物を食べた羊がいたものの、意図的な管理か、自然な移動かは不明確だった[4]。

これらは、1つの遺跡の結果を、その時代全体の姿とみなすことの危うさを示す。一方で、複数の遺跡を並べたときに見える、家畜の食事の多様さ自体は、確かな知見と言える。

7. いまの どうぶつの ごはんは、なにで できて いる?

7. 今の動物のえさの袋を読んでみる

7. 今の飼料から考える ── 袋の表示と、原典の読み方

おうちに ペットが いたら、ペットフードの ふくろの うらを 見て みましょう。「なにが はいって いるか」の ひょうが あります。

ペットが いない 人は、スーパーの ねこや いぬ用の ふくろでも、おうちの 人と 見て みましょう。どんな ざいりょうが つかわれて いるでしょう。

数千年まえの ごはんと くらべて、おなじ ところや、ちがう ところが 見つかるかも しれません。

家にペットがいる人は、ペットフードの袋にある「原材料」の表示を見てみましょう。いない人は、お店のペットフード売り場で、袋の表示を家の人と一緒に読んでみるのもよい方法です。

穀物、豆、魚、肉など、どんなものが使われているでしょうか。人が考えて選んだ食べ物を、動物に与えている点は、シポの豚やヴィンチャの牛と同じです。ちがいは、何が入っているかが、表に書いてあることです。

袋が何種類か見られるなら、犬用とねこ用、子ども用とおとな用など、原材料のちがいを比べてみましょう。動物や育ち方によって、えさがちがうかもしれません。

手がかりとして、現在の飼料の原材料表示を読むとよい。ペットフードや家畜用飼料の袋に書かれた原材料を、遺跡で分かった例(葉、穀物の副産物、豆類、海藻)と見比べると、何が共通し、何がちがうかを自分で考えられる。人が動物の食べ物を選ぶ点は、本文の豚や牛の例と同じである。

原材料表示を読むときは、①何が主な材料か(穀物か、肉か、魚か)、②動物の種類や年齢によって材料がどう変わるか、③書かれていないことは何か、の3点を確かめるとよい。遺跡の研究でも、何を分析したか、どこまで言えるかを分けて考えるのは同じである。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

この記事で使った資料です。本文の[ ]の番号は、下の番号に対応します。

  1. Further isotopic evidence for seaweed-eating sheep from Neolithic Orkney (Queen's University Belfast) https://pure.qub.ac.uk/en/publications/further-isotopic-evidence-for-seaweed-eating-sheep-from-neolithic/ (オークニーの羊と海藻)
  2. Leaf-foddering of Livestock in the Neolithic: Archaeobotanical Evidence from Weier, Switzerland https://tidsskrift.dk/jda/article/view/127400 (スイスの木の葉の給餌)
  3. Food management of early introduced caprine and bovine herds in the early Neolithic site of La Draga (Banyoles): An isotopic approach https://portalrecerca.uab.cat/en/publications/food-management-of-early-introduced-caprine-and-bovine-herds-in-t-2/ (ラ・ドラガの羊・ヤギ・牛の食事)
  4. Early herding communities of the Southern Iberian Peninsula used a wide variety of livestock management strategies (UAB) https://www.uab.cat/web/actualitat/ (エル・トロ洞窟の羊。大学の発表記事)
  5. Specialized cattle farming in the Neolithic Rhine-Meuse Delta (PLoS ONE) https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0240464 (スキップルイデンの牛の食事と冬の給餌)
  6. Early Herding at Măgura-Boldul lui Moș Ivănuș (European Journal of Archaeology) https://www.cambridge.org/core/journals/european-journal-of-archaeology/ (マグラ遺跡の牛の冬の葉の給餌と分析の限界)
  7. Iberian Neolithic herders were already strategically managing cattle herds 6,000 years ago (UAB) https://www.uab.cat/web/newsroom/ (ピクサレス洞窟の牛。大学の発表記事)
  8. First high mountain settlers at the start of the Neolithic already engaged in other livestock activities apart from transhumance (UAB) https://www.uab.cat/web/newsroom/ (コーロ・トラスィトの余剰農産物。大学の発表記事)
  9. Stable isotopes reveal intensive pig husbandry practices in the middle Yellow River region by the Yangshao period (7000–5000 BP) (PLoS ONE) https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0257524 (シポ遺跡の豚の食事)
  10. Pig management in the Neolithic Near East and East Asia clarified with isotope analyses of bulk collagen and amino acids (Frontiers) https://www.frontiersin.org/journals/ecology-and-evolution/articles/10.3389/fevo.2022.944104/full (近東の豚の飼料)
  11. Of herds and societies—Seasonal aspects of Vinča culture herding and land use practices (PLoS ONE 2021) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8496836/ (ヴィンチャ文化の羊・ヤギ・牛の季節ごとの食事)
  12. Dung deposits in early Neolithic Central Anatolia (review; PMC) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6977141 (チャタルホユクの囲いの堆積物)

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