1. 「はつもうで」は、なんの しらせの 中に 出たの?
1. 「初詣」が新聞に初めて出たのは、汽車の臨時停車の知らせだった
1. 1885年の記事に出た「初詣」── 急行列車の臨時停車を伝える知らせ
いまから 140ねんほど まえ、1885ねんの 1がつ 2か。東京の 新聞に、こんな しらせが のりました。
しらせの 中身は、こんな ことです(ことばは わかりやすく 言いかえて います)。新橋と 横浜を はしる 急行の 汽車は、ふだんは 川崎の えきに とまりません。でも お正月の 三が日だけは、川崎大師へ「初詣」に いく 人が おおいだろうから、とくべつに とまる のです。
この 中に 出て くる「初詣」が、新聞で 見つかる いちばん ふるい れいだと しょうかいされて います[3]。ただし、「世の中で はじめて 使われた ことば」とまでは いえません。
おまいりの しらせでは なくて、汽車が とまる しらせ。ここに、はつもうでの ひみつが かくれて いそうです。では、汽車が できる まえの 人たちは、お正月に どこへ おまいりして いたのでしょう。
1885(明治18)年1月2日、東京日日新聞に短い知らせが載りました。新橋〜横浜間の急行列車は、ふだん川崎駅には停まりません。けれども正月の三が日だけは、川崎大師へ「初詣」に行く人が多いだろうから、特別に停車する、という内容です[3]。
この中に出てくる「初詣」が、新聞で確認できる最初の例として、平山昇さんの研究で紹介されています。ただし「世の中で初めて使われた言葉」と言い切れるわけではなく、別の新聞を初出とする記事もあります。この記事では東京日日新聞の例を採ります。
注目したいのは、これが神社やお寺の案内ではなく、鉄道の知らせだったことです。初詣という言葉は、汽車が走るようになった時代の中で、新聞に姿を見せました。では、汽車ができる前の人たちは、お正月にどこへお参りしていたのでしょうか。
1885(明治18)年1月2日付の『東京日日新聞』の記事が、新聞に出た「初詣」の最初の例として、平山昇の研究で紹介されている[3]。内容は、新橋〜横浜間の急行列車は平生は川崎駅に停まらないが、その年の三が日だけは川崎大師へ初詣に行く人が多いはずなので特別に停車する、というものだった。
この「初出」には注意がいる。『万朝報』を初出とする記事もあるが、万朝報の創刊は1892年とされ、1885年の例より後になるため疑わしい。ここでは東京日日新聞の例を採り、「新聞で確認できる初出」とだけ扱う。「初詣という語が世の中で最初に使われた」とまでは言えない。
もう一つ、記事の置かれ方がおもしろい。神社やお寺の行事の言葉が、鉄道の運行の知らせの中で、あたりまえのように使われている。ただし、この1つの記事から言えるのは、そうした言葉が当時の新聞に載っていたことまでである。では、この言葉が生まれる前、人々は元日をどう過ごしていたのか。それを次の章で見る。
2. 江戸の 人は、お正月に どこへ おまいりして いたの?
2. 江戸の人は、毎年同じ寺社に行くとは限らなかった
2. 江戸時代の正月参り ── 年籠り・恵方詣・初縁日への分散
江戸の 人たちも、お正月に おまいりは しました。でも、いまの はつもうでとは、ようすが ちがって いました。
はじまりに ちかい ならわしは、「年籠り」と いわれます。家の 長が、大みそかの 夜から 元日の 朝まで、氏神さまの おやしろに こもって、その としの みのりや 家の ぶじを いのる ならわしです[1]。のちに、これが 大みそかの おまいりと 元日の おまいりに わかれ、元日の ほうが はつもうでの もとに なったと いわれます。
もう ひとつ、「恵方詣」が ありました。その としの「恵方」、つまり よい ほうがくに ある じんじゃや おてらへ いく ならわしです。恵方は としごとに かわるので、行く ところも まいとし かわります[3]。
さらに、おまいりの 日も、元日に あつまっては いませんでした。それぞれの じんじゃや おてらで、その年 さいしょの「縁日」に 行くのが ふつうで、お正月の あいだ じゅうに ちらばって いたのです[2]。
行く ところも、日も、まいとし ばらばら。では、どうして まいとし「元日に どこかへ」へ かわって いったのでしょう。
江戸時代の人々も、正月に社寺へ参りました。ただし、今の初詣とは形がちがいます。
初詣のもとになった習慣としてよく挙げられるのが「年籠り」です。一家の長が大晦日の夜から元日の朝まで氏神の社にこもり、その年の豊作や家内安全を祈る習慣で、のちに大晦日の夜の「除夜詣」と元日の「元日詣」に分かれ、元日詣が初詣のもとになったとされています[1]。
一方、平山昇さんの研究では、江戸時代の正月参りでは「恵方詣」が主流だったと説明されます。恵方は、その年の福の神である歳徳神がいるとされる方角です。JR東日本の解説によると、恵方は5年周期で変わるので、人々が参る社寺も毎年変わりました[3]。
お参りの日も、元日に集まっていたわけではありません。それぞれの社寺で一年のうち最初に来る縁日に参るのが一般的で、たとえば川崎大師なら21日の縁日でした。そのため参拝は正月じゅうに分散していました[2]。
行き先は毎年変わり、日もばらばら。ここから、毎年「元日にお参り」という形に変わるには、何かきっかけが必要です。そのきっかけが、明治の初めに走り出した汽車でした。
江戸時代にも、元日の前後に社寺へ参る習慣はあった。しかし、その形は今の初詣と大きくちがう。
初詣のもとになったとされるのは「年籠り」である。家の長が大晦日の夜から元日の朝にかけて、産土の神や氏神の社にこもり、新しい年の豊作や家内安全を祈った。この習慣が大晦日の「除夜詣」と元日の「元日詣」に分かれ、元日詣が初詣のもとになったと説明される[1]。ただし、これは「もとになった習慣の一つ」であり、年籠りだけで初詣が説明できるわけではない。
平山昇の研究が江戸時代の正月参りの主流としているのは、居住地の氏神か、年ごとに変わる恵方にある社寺へ参る「恵方詣」である。恵方は歳徳神がいるとされる方角で、JR東日本の解説では5年周期で変わる。恵方が変わるので、同じ人が参る社寺も毎年変わった[3]。なお、恵方の周期は資料によって書き方が異なるため、「5年周期」はJR東日本の記述として扱う。
参詣の日も分散していた。人々はそれぞれの社寺の一年で最初の縁日(初縁日)に参るのが一般的で、川崎大師なら大師の縁日である21日がその日にあたる。そのため、正月の参詣客は三が日に集中せず、正月じゅうに散らばっていた[2]。
つまり江戸の正月参りは、行き先も日取りも「決まり」に左右されていた。恵方がめぐり、縁日が来るのを待って動く。それに対して、毎年おなじ社寺へ、決まった日に出かける習慣はまだ一般的ではなかった。ではその決まりを、何が崩したのか。
3. 汽車が 川崎大師へ 行けるように なると、なにが かわったの?
3. 汽車が川崎へ通ると、恵方や縁日に縛られにくくなった
3. 鉄道の開業で、恵方や縁日に縛られない参詣が広がった
1872ねん、日本で はじめての 鉄道が、新橋と 横浜の あいだで ひらきました。とちゅうに 川崎の えきが あったので、東京から 汽車に のって 川崎大師へ 行ける ように なります[2]。
そのころ、汽車に のるだけで わくわくする ことでした。だから 人びとは、「汽車で 川崎大師へ おまいりに 行こう」と おもう ように なります。
すると、ようすが かわって きます。汽車で とおくへ 行きやすく なると、縁日や 恵方に あわせなくても、おまいりしたい 日に でかけやすく なりました。川崎大師では、縁日や 恵方に かかわらず、まいとし 元日に おまいりする あたらしい かたちが、だんだん 根づいて いったと、JRの しりょうは せつめいして います[3]。
こうして「元日に おまいり」が ひろがるなら、つぎの ぎもんが うかびます。どうして お正月の はじめの 三日間に 人が あつまったのでしょう。
1872(明治5)年、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間で開業しました。途中に川崎停車場があったので、東京から汽車に乗って川崎大師へ行けるようになります[2]。当時は、汽車に乗ること自体が特別な楽しみでした。
ここで、お参りの考え方が変わり始めます。縁日や恵方は、社寺を選ぶときの決まりでした。ところが汽車に乗れば、遠くの社寺にも出かけやすくなり、決まりにこだわる理由がうすれます。川崎大師では、21日の縁日や恵方に関係なく、毎年元日に参るという新しい形が定着していったと、JR東日本の資料は説明しています[3]。
nippon.comの解説も、鉄道ができたことで遠くの恵方にも行けるようになり、さらに鉄道会社の宣伝などもあって、吉方を気にする考えがうすれ、恵方詣は「初詣」という新しい言葉に置きかわっていった、と説明しています[4]。
ここまでの話は、鉄道が縁日や恵方の決まりを弱めた、という道すじです。では、元日だけでなく三が日に参拝が集まるようになったのは、どうしてでしょうか。
1872(明治5)年、新橋〜横浜間に日本初の鉄道が開業した。途中に川崎停車場が置かれたため、東京から汽車で川崎大師へ行けるようになった[2]。平山昇の研究では、当時の汽車に乗ること自体が貴重な体験で、ハレの楽しみだったと説明される。
この「汽車で出かける楽しみ」が、江戸の決まりを崩した。縁日の日取りや恵方は、社寺を選ぶときの決まりだった。ところが鉄道があれば遠くの社寺にも出かけやすく、決まりにこだわる理由がうすれる。その結果、縁日や恵方にこだわらず参る人が増えた。JR東日本の資料は、川崎大師では21日の縁日や恵方に関係なく、毎年参詣するという新しい正月参詣の形が定着したと説明する[3]。
nippon.comの解説は、同じ変化を恵方詣の側から述べている。鉄道が敷かれると遠方の恵方にも行けるようになり、鉄道会社の宣伝もあって吉方の考えがあいまいになり、恵方詣は「初詣」という新しい言葉に置きかわっていった、という[4]。
ただし、この3つの出典(現代ビジネス、JR東日本、nippon.com)は、いずれも平山昇の研究にもとづく説明であり、独立した3つの証拠ではない。また、これは「川崎大師から始まった」とされる例で、全国どこでも同じ速さで変わったとは限らない。川崎大師を初詣の発祥と断定するのも避け、最初期の例の一つと見ておく。では、参拝が元日に集まるだけでなく、三が日に集中していったのはなぜか。
4. どうして おまいりは、お正月の 三が日に あつまったの?
4. 三が日にお参りが集まったのは、多くの仕事が休みだったから
4. 参詣が三が日に集中した条件 ── 共通の休みという事情
汽車に のれば、いつでも おまいりに 行けます。それなのに、人が お正月の 三が日に あつまったのは、なぜでしょう。
むかしの 日本では、会社や おみせの 休みが ばらばらでした。日よう日だけ 休む ところも あれば、毎月 1日と 15日だけ 休む ところも ありました。でも お正月の 三が日だけは、ほぼ どの しごとも おやすみでした[2]。
みんなが いっしょに 休める 日だから、家ぞくで でかける 人も ふえます。やがて この あたらしくて ゆるやかな ならわしが、「はつもうで」と よばれるように なったと、平山さんは せつめいして います。
こうして できあがった はつもうでを、さらに おおきく したのは、だれだったのでしょう。
汽車に乗れば、いつでもお参りに行けます。それなのに、人々が正月の三が日に集まったのはなぜでしょうか。
平山昇さんの研究では、その理由は、三が日に多くの仕事が休みだったことです。当時は、日曜日だけ休む仕事や、毎月1日と15日が休みの仕事など、業種ごとに休みがばらばらでした。そのなかで、年頭の三が日だけは、ほぼすべての業種が休みにしていました[2]。
みんなの休みが重なるのは、三が日だけです。そのため、その時期に参詣する人が増えていきました。やがて、この新しくてゆるやかな習慣が「初詣」と呼ばれるようになった、と説明されています[2]。
決まった行き先も、決まった日の義務もありません。「元日から三が日のあいだに、どこかへ行く」という、ゆるやかな習慣です。それが今のように大きな行事になったのは、鉄道会社の力が大きいとされます。次の章でそれを見ていきます。
汽車に乗れば、縁日や恵方に関係なく好きな日に参詣できる。それなのに、なぜ参拝は三が日に集中したのか。平山昇の研究が挙げる理由は、休みの共通性である[2]。
当時は、日曜定休や毎月1日・15日の定休など、業種ごとに休みの日がばらばらだった。そのなかで、年頭の三が日だけは、ほぼすべての業種が休みにしていた。そのため、参詣に出かけられる日は三が日に重なり、その時期に参る人が増えた。のちに、この新しくてゆるやかな慣習が「初詣」と呼ばれるようになったと説明される。
この説明で大切なのは、「決まり」ではなく「条件」で集まった点である。恵方も縁日も、守るべき決まりだった。それに対して三が日は、共通の休みという生活の条件にすぎず、行き先を縛らない。だから「どの社寺に参るか」は、鉄道の便や評判で変わりやすかった。
ただし、この説明は平山昇の研究にもとづく1つの見方で、三が日が共通の休みだった範囲や時期を、この資料だけで細かく決めることはできない。そのうえで次に考えたいのは、鉄道そのものが、この習慣をどう広げたかである。
5. 鉄道の 会社は、はつもうでを どう ひろげたの?
5. 鉄道会社の競争が、初詣の行き先と人出を大きくした
5. 臨時列車と運賃の競争 ── 成田山の例と、郊外の寺社に集まる人出
鉄道の 会社に とっては、おまいりの 人が ふえると、汽車に のる 人も ふえます。そこで 毎年、お正月には いつもより 多く 汽車を 走らせるなどして、おきゃくさんを よびました。
おなじ じんじゃや おてらへ、いくつもの 路線が 行ける ように なると、ねだんを 下げるなど、競争も おきました。たとえば 成田山では、国鉄と 京成の 競争の なかで、はつもうでの 人が 1926ねんから 1940ねんの あいだに やく10ばいに ふえたと しょうかいされて います[2]。ただし、これは 成田山の れいで、日本じゅうの 人が 10ばいに なったという 意味では ありません。
いまの 人出の 多い おまいりの 場所は、東京や おおさかなど 大きな 町の 郊外に あって、いくつもの 鉄道が 通る ところが ほとんどです。2009ねんの 警察庁の まとめでは、三が日の 人出は、明治神宮が 319万人、成田山が 298万人、川崎大師が 296万人の じゅんでした[2]。
大みそかから 元日に かけて おまいりする「二年まいり」は、昭和に なって うまれ、夜も 電車が 走る 終夜運転などが ひろがりを ささえたと されます[3]。
鉄道会社にとって、参詣客が増えることは、そのまま乗客が増えることです。そのため鉄道会社は、正月の臨時列車を毎年出して参詣客を呼びこみました。同じ社寺へ複数の路線が通るようになると、運賃の割引などの競争も起きたとされます[2]。
平山昇さんが挙げる例が成田山です。成田山の初詣客は、国鉄と京成の競争のなかで、1926(大正15)年から1940(昭和15)年にかけて約10倍に増えました[2]。ただしこれは成田山の例で、全国の初詣客が10倍になったという意味ではありません。
今の初詣の人出にも、その名残があります。人出ランキング上位の社寺は、ほとんどが大都市の郊外にあり、複数の鉄道路線が通っています。2009年の警察庁のまとめでは、三が日の人出は明治神宮319万人、成田山新勝寺298万人、川崎大師296万人の順でした[2]。数字は2009年のもので、今の人出ではありません。
さらに、大晦日から元日にまたいで参る「二年参り」は、昭和に入って生まれた習慣で、鉄道などの終夜運転が広がりを支えたとされています[3]。
初詣が「毎年の大きな行事」になるうえで、鉄道会社の動きは大きかった。参詣客が増えれば乗客が増えるので、鉄道会社は正月の臨時列車を毎年出し、同じ社寺へ複数の路線が通るようになると、運賃の割引などの競争も起きた[2]。
その例として平山昇が挙げるのが成田山である。成田山の初詣客は、国鉄と京成の競争のなかで、1926(大正15)年から1940(昭和15)年にかけて約10倍に増えた。ただし約10倍は成田山1か所の数字で、全国の初詣客が10倍になったわけではない。「競争」が人出を押し上げた例として読むのが妥当である。
この構造は、今の人出ランキングにも見える。上位の社寺は、ほとんどが大都市の郊外にあり、複数の鉄道路線がアクセスしている。2009年の警察庁のまとめでは、三が日の人出は明治神宮319万人、成田山新勝寺298万人、川崎大師296万人の順だった[2]。数字は2009年のもので、「今の人出」としては使えない。
さらに「二年参り」がある。大晦日から元日にまたがって参る習慣で、昭和に入って生まれたものであり、鉄道などの終夜運転が広がりを支えたとされる[3]。
こうしてみると、初詣は、江戸の決まり(恵方・縁日)が鉄道で弱まり、休みが重なる三が日が条件となり、鉄道会社の競争が行き先と人出を広げた、という流れの上に立つ。「昔から変わらない伝統」と見えるものにも、この道すじがある。
6. 自分の 町の おまいりも、あしもとから しらべて みよう
6. 自分の町の「初詣」を、鉄道と地図から調べる
6. 身近な社寺と鉄道の関係を、地図で調べる
はつもうでの はなしを よむと、じんじゃや おてらの 近くに、えきや 線路が ある ことに 気づきます。
やってみよう:ちずを ひらいて、自分の 町の 神社や おてらを ひとつ えらびます。そこから いちばん 近い えきと、通る 電車の 路線を さがして、ゆびで なぞって みましょう。ちずは、本でも、スマートフォンの ちずでも かまいません。
おうちの 人に、「こどもの ころ、お正月は どこへ おまいりに 行った?」と きいて みるのも、よい 手がかりです。むかしと いま、行く 場所や 行き方が ちがうか、くらべて みましょう。
この 話の もとに なった 本や ページは、いちばん 下の「しゅってん」に のっています。平山さんの 本は、図書館で さがせます。
初詣の歴史は、鉄道の歴史と重なっていました。そこで、自分の町の社寺を、鉄道の側から見てみましょう。
今日できること
地図を開いて、近くの神社や寺を1つ選び、いちばん近い駅と、その駅を通る路線を探します。次に、人出ランキングに出てくる社寺(明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師)と、その最寄りの路線も調べてみてください。大都市の郊外に、複数の鉄道が通っているという特徴に、自分で気づけるかもしれません。
家族に聞いてみること
家族に、子どものころの初詣はどこへ行ったかを聞くと、行き先が電車でつながっていたのか、歩いて行ける場所だったのかが見えてきます。
もっと知りたくなったら
平山昇さんの『鉄道が変えた社寺参詣』(交通新聞社、2012年)や『初詣の社会史』(東京大学出版会、2015年)が、この話の元になっている研究書です。この記事ではJR東日本の解説などを通じて読んでいます。
初詣の歴史は、鉄道・休み・競争という3つの条件の上に立っていた。自分の身近な社寺を、この3つの目で見てみる。
地図で確かめる
近くの社寺を1つ選び、最寄り駅と、そこに通る路線の数を調べる。人出ランキングの上位の明治神宮・成田山新勝寺・川崎大師についても同じことをして、複数の路線が通るかを見比べる。数字は2009年のものなので、最新の人出は各寺社の発表などで調べる。
家族に聞く
家族が子どものころ、正月にどこへ行き、どう移動したかを聞く。徒歩か電車かで、行き先がどう変わるかが分かる。
出典を読む
この記事の3つの出典(現代ビジネス、JRE MEDIA、nippon.com)は、平山昇の研究にもとづく。独立した資料は『鉄道が変えた社寺参詣』(交通新聞社、2012年)と『初詣の社会史』(東京大学出版会、2015年)であり、図書館で探せる。出典を読み比べて、江戸の「恵方詣」と「初詣」を分ける線がどこにあるかを見つけてみてほしい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の事実は、次の資料を読み比べて確かめています。資料が同じ研究にもとづく場合は、本文でそう示しています。
- imidas「初詣」(歴行事) https://imidas.jp/rekigyoji/detail/L-55-068-07-12-G222.html (年籠りと初詣のもと)
- 平山昇「明治神宮と初詣」現代ビジネス https://gendai.media/articles/-/78914 (江戸の分散参詣・鉄道・三が日・成田山の例・人出ランキング)
- JRE MEDIA(JR東日本) https://media.jreast.co.jp/articles/2440 (「初詣」の初出・恵方詣・川崎大師・二年参り)
- nippon.com「初詣の由来」 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c11801/ (恵方詣から初詣への言葉の置きかわり)
なおした ところ
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