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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ペストは どうやって ひろがり、どうやって おさまったの?

腺ペストを人にうつすのはネズミではなくノミ? 40日待つ検疫から、いまの抑え方まで

ペストの感染経路と封じ込め 検疫の起源、菌とノミの発見、現在の対策

分野:歴史・文化

せんペストを ひとに うつすのは、ネズミでは なく、ネズミに くっつく ノミだと いわれて います。

ノミの ことを しらなかった むかしの ひとは、どうやって ふせごうと したのでしょう。40にち まつ きまりや、いまの くすりまで、ひろがる みちすじと おさめかたが わかります。

腺ペストの菌を人にうつすのは、ネズミ本人ではなく、ネズミにつくノミだとされています[1]。ネズミを退治すれば止まりそうなのに、WHOはネズミより先にノミ対策をするよう示しています[2]。

この道すじを知らなかった昔の人は、どうやって身を守ったのでしょうか。「40日待つ」検疫の始まり、香港で菌を探した二人、ノミの実験、いまの抑え方が分かります。

腺ペストは、菌を持つげっ歯類から人へ、ノミを介して伝わる。人にうつすのはネズミ自身ではなくノミであり、WHOは、ネズミの駆除より前にノミ対策を行うよう示している[2]。

では、この経路が分かっていなかった時代の人々は、何を根拠に対策を作り、いつ、どうやって菌とノミの役割が突き止められたのか。検疫の起源、1894年の香港、ノミ実験の受け入れの遅れ、現在の封じ込めまで、その理由と限界が分かる。

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1. ネズミを たいじすれば、ペストは とまるの?

1. ネズミを退治すれば止まる? 人にうつすのはノミ

1. 腺ペストと肺ペスト ネズミ、ノミ、人をつなぐ経路と、対策の順番

ペストの ばいきんを もって いるのは、おもに ネズミなどの ちいさな どうぶつです。でも、ひとに うつすのは、ネズミでは ありません。ネズミに くっついた ノミが、ひとを かむと、ひとも びょうきに なります。これを、せんペストと よびます[1]。

もう ひとつ、はいペストも あります。かんじゃさんの せきや いきから出る しぶきで、ひとから ひとへ うつります[1]。

ネズミが げんいんなら、ネズミを いなく すれば いいように 思えます。ところが WHOは、ネズミを へらす まえに、ノミの たいさくを するように しめして います[2]。

この みちすじを、むかしの ひとは しりませんでした。しらないまま、どうやって ふせいだのでしょう。

ペストの菌を持っているのは、おもにネズミなどの小さな動物です。けれども人にうつすのはネズミ本人ではありません。ネズミにつくノミが菌を運び、人をかむと、人も病気になります。これが腺ペストです[1]。WHOも、おもな道すじは菌を持ったノミにかまれることだと説明しています[2]。

うつり方はもう一つあります。肺ペストは、患者のせきなどのしぶきで、人から人へ広がります[1]。うつってから病気になるまでの日数は、厚生労働省の資料では腺ペストで3〜7日、肺ペストで1〜4日です[1]。

ネズミが原因なら、ネズミを退治すれば止まりそうです。ところがWHOは、ネズミを駆除する前に、ノミ対策をするよう示しています。先にノミ対策をしないと逆効果になるからです[2]。ネズミだけを相手にしても、道すじの途中しか切れないのです。

この道すじを、昔の人は知りませんでした。知らないまま、どうやって身を守ったのでしょうか。

腺ペストは、菌を保有するネズミなどのげっ歯類からノミを介して人に感染し、肺ペストは咳などの飛沫によってヒトからヒトに伝わる[1]。WHOもおもな経路を感染したノミにかまれることとし、肺ペストは患者の呼吸で出る飛沫でも広がると説明している[2]。潜伏期間は、厚生労働省の資料で腺ペスト3〜7日、肺ペスト1〜4日、WHOは通常1〜7日とされる。

この経路には、直感に反する帰結がある。ネズミが運び役なら、まずネズミを減らしたくなる。しかしWHOは、ノミ対策をネズミの駆除より前に行うよう示し、順序を誤ると逆効果になりうるとする[2]。人にうつす実行役がノミである以上、ノミを放置したままネズミだけを減らすのは、経路の途中だけに手を出すことになる。

この経路が分かったのは19世紀末で、それ以前の人々は、ネズミもノミも知らないまま流行と向き合った。何を手がかりに対策を作ったのかを、次の章で見る。

2. むかしの ひとは、どうやって ペストを ふせいだの?

2. 港で人を島に待たせる 1377年、ラグーザの検疫の始まり

2. 1377年のラグーザ 経路を知らない社会が選んだ、待機という対策

1377ねんの ことです。いまの クロアチアに ある まちで、ふねで きた ひとを、すぐには まちに いれない きまりが できました。びょうきの ある ばしょから きた ひとや ふねは、ちかくの しまで しばらく まって から。これが、けんえきの はじまりと いわれて います[3]。

まつ にっすうは、さいしょは 30にちでした。のちに 40にちに なったと つたえられて います[3]。

けんえきを あらわす ことば「クォランティン」は、イタリアごの「40」から きました[3]。では、どうして 40にち だったのでしょう。

1377年、いまのクロアチアにあるラグーザ(現在のドゥブロヴニク)で、病気のある土地から来た人や船を、近くの島で一定の期間隔離する決まりが作られました。これが検疫の始まりとされています[3]。

待つ日数は、はじめは30日で、のちに40日になったと伝えられています[3]。英語の「クォランティン(検疫)」は、イタリア語の「40」に由来する言葉です[3]。

ペストはネズミとノミの病気でしたが、当時の人はそれを知りません。それでも、病人のいた土地から来た人をしばらく離しておけば、まちに病気が入りにくいと、経験から考えたのです[3]。

では、なぜ「40」だったのでしょうか。

1377年、ラグーザ(現在のクロアチア、ドゥブロヴニク)で、感染地から来た人や船を、近くの島で一定期間隔離する法が定められた。これが検疫の最初とされる[3]。

待機の日数は最初30日(トレンティーナ)で、のちに40日(クアランテーナ)になったと説明されるが、この30日から40日への変遷は二次的な歴史解説にもとづく話である。英語の quarantine は、イタリア語で「40」を表す quaranta に由来する[3]。

注目したいのは、この制度が病原体の知識なしに成立している点だ。ネズミとノミが関わると知られるのは、ずっとのちのことである。病気は人の移動と一緒に来る、という経験が、感染地から来た人を一定期間離しておくという対策の土台にあった[3]。

では、待つ日数が「40」に決まった理由は何だったのか。

3. どうして 40にち? ふねを まつ いえも できた

3. 「40日」の理由は分かっていない 常設のペスト施設ができるまで

3. 40日の根拠と、1423年のヴェネツィアの常設施設

じつは、どうして 40にち なのかは、わかって いません。むかしの いしゃ ヒポクラテスの かんがえが もとかも しれない、という すいそくが あります[3]。

そのころの ひとたちは、くうきが よごれて びょうきが おこると かんがえる ことも ありました[3]。ノミは まだ しられて いません。

1423ねんには、ヴェネツィアという くにが、しまに ペストの ための いつでも つかえる たてものを つくりました。ラザレットと よばれます[3]。まつ ための ばしょが、ずっと のこる しせつに なったのです。

でも、びょうきを おこす ばいきんが みつかるのは、ずっと あとです。だれが、いつ、みつけたのでしょう。

なぜ40日なのか、その理由は分かっていません。古代ギリシャの医者ヒポクラテスの考えに由来するのかもしれない、という推測があります[3]。

病気の原因についても、当時は「空気の汚れ」などで説明する考え方がありました[3]。菌も、ノミも、まだ知られていなかったのです。

それでも対策は育ちます。1423年、ヴェネツィア共和国は、サンタ・マリア・ディ・ナザレ島に、最初の常設のペスト用施設(ラザレット)を開きました[3]。一時の待機場所が、長く使われる施設に変わった例です。

原因が分からないまま、人は少しずつ知恵を積んでいきました。では、病気の原因である菌は、いつ、誰が見つけたのでしょうか。

40日の根拠は不明とされる。ヒポクラテスの、急性の病気にかんする考え方に由来するかもしれないという推測があるが[3]、決め手はない。待機の理由づけには、空気の汚れ(ミアズマ)を原因とする説明が用いられたと解説される。

理由づけが誤っていても、対策が無意味だったとは限らない。感染地から来た人を一定期間離すという行動は、結果として、人から人にうつる肺ペストや、人についてくるノミの持ち込みを遅らせた可能性がある。ただしこれは現代からの推測である。

1423年、ヴェネツィア共和国はサンタ・マリア・ディ・ナザレ島に、最初の常設のペスト施設(ラザレット)を開いた[3]。待機の場が恒常的な制度へ移る節目である。

しかし、経路を探るには、まず病原体を特定する必要がある。それが実現するのは、さらに約470年後、香港だった。

4. ばいきんを みつけたのは、だれ?

4. 1894年の香港 別々に菌を探した二人

4. 1894年の香港 北里柴三郎とイェルサンの同時発見と、その評価

1894ねん、ホンコンで ペストが はやりました。そこに、にほんの きたざと しばさぶろうと、フランスの けんきゅうじょの イェルサンが いました。ふたりは ホンコンで、べつべつに ペストの ばいきんを さがしました[4]。

そして、ほとんど おなじ ころに、ばいきんを みつけたのです。

あとで しらべなおすと、イェルサンの かいた ばいきんの すがたの ほうが、より ただしいと かんがえられて います[5]。ただ、きたざとさんの しごとを どう 見るかは、ひとによって ちがいます。

ばいきんが わかっても、まだ ひとつ なぞが ありました。ひとに うつすのは、だれなのか、です。

1894年、香港でペストが流行しました。日本の北里柴三郎と、フランス・パスツール研究所のイェルサンが、香港で、それぞれ別々に菌を探し、ほぼ同時に見つけたとされています[4]。

のちの検討では、北里の培養は肺炎球菌という別の菌がまじっていた可能性が高く、イェルサンの記述のほうが正確だったと考えられています。北里が最初は「発見者」とされた時期もありました[5]。ただし、北里の業績をどう評価するかは、意見が分かれています。

国のちがう二人が、同じ時期に、別々に菌を探していたことになります。

菌の正体は分かりました。けれども、その菌が人にどう届くのかは、まだ別の問いとして残りました。

1894年の香港のペスト流行で、北里柴三郎とパスツール研究所のイェルサンは、香港で、互いに独立にペスト菌を見いだした[4]。ほぼ同時の発見である。

のちの再検討では、北里の培養物は、グラム陽性の肺炎球菌に汚染されていた可能性が高いとされ、菌の記載はイェルサンのほうが正確だったと考えられている。北里が当初「発見者」として扱われた期間もあった[5]。ただし、これを「北里の発見は誤り」と言い切る根拠にはならず、評価は研究者によって分かれる。

注意したいのは、一つの資料にもとづく評価を、そのまま結論にしないことだ。ほぼ同時の発見という条件は、資料ごとに誰を発見者とするかの書き方が割れやすい理由にもなる。この点は原典に当たって読みたい。

菌の特定は、検疫が経験から作られた制度であることに、初めて病原体という説明を与えた。ただし、菌が人にどう運ばれるかは、別の問いとして残った。

5. ひとに うつすのは、ほんとうに ノミ?

5. ノミが運ぶ道すじを、実験で示した人たち

5. 緒方正規とシモンのノミ実験 すぐには受け入れられなかった経路の発見

ばいきんの つぎは、はこぶ ものが なぞでした。1890ねんだいの おわりごろ、にほんの おがた まさのりと、インドの カラチに いた シモンが、じっけんで ノミの やくわりを しめしました[6]。

シモンの じっけんは、びょうきの ネズミに ついた ノミが、げんきな ネズミに うつす、という たんじゅんな ものでした[6]。

ただ、すぐには みんなに みとめられませんでした。あとで しらべると、じっけんは ノミが にげるなど、きれいには いって いませんでした。3びきのうち、ペストで しんだのは 1ぴきだけ だったからです[6]。

みんなが ノミの やくわりを みとめるまで、10ねん いじょう かかりました[6]。

菌の次の謎は、運び手でした。1890年代の後半、台湾にいた緒方正規と、当時イギリス領だったインドのカラチにいたシモンが、それぞれの実験で、ノミの役割を示しました[6]。緒方の実験の年は、資料によって少しずれがあります。

シモンの実験は、感染したネズミのノミが、健康なネズミに病気をうつす、という単純な形でした[6]。

ところが、この発見はすぐには受け入れられませんでした。のちの文書調査で、1898年の有名な実験は、ノミが逃げるなど不完全で、3匹のうちペストで死んだのは1匹だけだったと分かりました[6]。ノミを含む対策が広く受け入れられるまで、10年以上かかりました[6]。

一人の完璧な発見ではなく、別々の場所の実験が少しずつ重なって、ノミの役割が固まっていったのです。では、いまはこの病気をどう抑えているのでしょうか。

菌の次の問いは媒介者だった。ノミの役割は、1890年代後半に、台湾で緒方正規が、当時の英領インドのカラチでシモンが、それぞれ実験で示した[6]。緒方の実験の年は、1896年から1898年まで資料によって異なるため、ここでは「1890年代後半」にとどめる。

シモンの実験は、感染したネズミのノミが健康なネズミに病気をうつすという単純な構成だった[6]。ところが、のちの文書調査で、1898年の論文の実験は、ノミが逃げるなどして不完全であり、3匹のうちペストで死んだのは1匹だけだったことが分かった[6]。

そのため、この成果はすぐには画期的と認められず、ノミを含む対策が広く受け入れられるまでに10年以上かかった[6]。したがって「シモン1人が完璧に証明した」とは書けず、複数の場所の研究が積み重なって、ノミが運び手だという理解が固まったと読むのが妥当である。

菌とノミが分かった現代は、ペストをどのように抑えているのか。最後の章で見る。

6. いまの ペストは、くすりで なおせるの?

6. いまの抑え方 薬、隔離、ノミ対策

6. 現在の封じ込め 抗菌薬、隔離、ノミ対策と、ヨーロッパで収まった理由

いまは、こうきんやくという くすりで、ペストを なおせます。はやく のむほど よく きき、とくに はいペストでは、はやい ちりょうが たいせつです[1]。

ひろげない ための ほうほうも あります。ノミの たいさく、びょうきの ひとを はなして ケアする こと、ちかくに いた ひとが ようじんの ために くすりを のむ こと、などです[2]。

ペストは、せかいから きえた わけでは ありません。2019ねんから 2025ねんに WHOへ ほうこくされた かんじゃさんの おおくは、コンゴみんしゅきょうわこくと マダガスカルでした[2]。にほんでの ながれは、ほうこくされて いません[1]。

むかしの ヨーロッパで ペストが 見られなくなった わけには、いくつもの せつが あります。

いまは、抗菌薬という薬でペストを治せます。早く使うほどよく効き、とくに肺ペストでは早い治療が大切です[1]。

広げない方法は、WHOがいくつかあげています。ノミ対策、医療にかかわる人の防護、患者の隔離、近くにいた人が予防のために薬を飲むことなどです[2]。ワクチンは、検査室で働く人など、感染のおそれが高い人向けに限られています[2]。

ペストは、世界から消えたわけではありません。2019年から2025年にWHOへ報告された症例の大半は、コンゴ民主共和国とマダガスカルでした[2]。日本国内での流行は報告されていません[1]。

昔のヨーロッパでペストが見られなくなった理由には、国境の管理や検疫が大きかったという説、ネズミの種類が入れかわったという説などがあり、時期が合わないと指摘される説もあります。検疫だけで収まったと言い切れる話ではないのです。

現代のペストは抗菌薬で治療でき、早期に使うほど効果が高い。とくに肺ペストでは早期治療が重要で、厚生労働省はアミノグリコシド系やテトラサイクリン系などの薬をあげる[1]。

流行の抑え方として、WHOはノミ対策、医療者の防護具、患者の隔離、濃厚接触者への予防的な抗菌薬投与をあげる。ワクチンは、検査室職員など高リスクの人に限る位置づけだ[2]。これは、第1章の経路(ノミ経由と飛沫)と、第2章の「感染源から人を離す」考え方に、それぞれ対応している。

ペストは消滅していない。2019年から2025年にWHOへ報告された症例の大半は、コンゴ民主共和国とマダガスカルで起きた[2]。日本国内での流行は報告されていない[1]。

ヨーロッパでペストの大流行が見られなくなった理由には、検疫や国境管理などの国の対策が効いたとする説、クマネズミからドブネズミへの優勢種の交代説、住居の材料の変化説などがあるが、時期が合わないと批判される説もある。決め手はなく、歴史学の論文に当たると議論の幅が見える。

7. 40にちを かぞえて みよう

7. 40日を数えてみる そして、二人の名前から広げる

7. 検疫の日数を数え、一次の資料へ戻る

カレンダーで、きょうから 40にち あとは 何がつ 何にちか、ゆびで かぞえて みましょう。むかしの ひとは、ふねの うえや しまで、この ながさを まって いたのです。

もっと しりたく なったら、こうせいろうどうしょうの「ペストQ&A」を、おうちの ひとと 読んで みて ください。きたざと しばさぶろうの ほんも、としょかんで さがせます。

カレンダーで、今日から40日後が何月何日かを数えてみてください。港の船や島で、昔の人はこれだけの日数を待ちました。長く感じるか短く感じるかで、検疫の重みがつかめます。

もう少し調べるなら、厚生労働省の「ペストQ&A」で、いまの病気の説明を読めます[1]。北里柴三郎については、図書館の伝記で、香港での様子を読み比べてみるのもよいでしょう。

カレンダーで40日後を数えると、quaranta の長さの実感がつかめる。船や島で待たされる側にとっての40日は、出費と時間の負担でもあったはずで、制度は常に、守ることと動けないことの間の調整だった。

検疫の起源はEmerging Infectious Diseases誌のTognotti(2013)[3]、ノミの発見の経緯は PMC の「In search of lost fleas」[6]、発見者をめぐる評価は J Med Virol H の総説[5]が読める。現在の対策はWHOのfact sheet[2]と、厚生労働省のQ&A[1]で確かめられる。ヨーロッパで流行が収まった理由は、歴史学の原典に当たって、自分で整理してみてほしい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。数字や年は、各資料の記述にもとづきます。

  1. 厚生労働省「ペストQ&A」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000179877.html (感染経路・潜伏期間・治療)
  2. WHO「Plague」fact sheet https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/plague (感染経路・対策・最近の報告)
  3. Tognotti E. (2013) Lessons from the History of Quarantine, from Plague to Influenza A. Emerging Infectious Diseases 19(2). https://wwwnc.cdc.gov/eid/article/19/2/12-0312_article.htm (検疫とラザレットの始まり)
  4. nippon.com「北里柴三郎」 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07213/ (香港での発見)
  5. J Med Virol H「The History of Plague Pt 2」 https://jmvh.org/article/the-history-of-plague-pt-2-the-discoveries-of-the-plague-bacillus-and-its-vector/ (発見者の評価)
  6. 「In search of lost fleas」(PMC) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9869101/ (ノミの役割の実験と受け入れ)

なおした ところ

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