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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

パズルは いつごろから あるの? 3500年まえの ねこの もんだいから

パズルは、いつごろからある遊びなのか。3500年前の「猫の問題」から江戸の本まで

パズルの起源をたどる:リンド・パピルスの「7軒の家と猫」、ストマキオンの14枚、1742年の『清少納言知恵の板』

分野:歴史・文化

いまから 3500年ほど まえの エジプトの パピルスに、「7けんの 家、7ひきの 猫ねこ…」と、7ばいが かさなって いく もんだいが 書かれて います。いま のこって いる ものの 中でも、ふるい ほうの もんだいです。

では、切って ならべる パズルは、いつごろ から あるのでしょう。日本の 江戸時代えどじだいの 本にも、のって いたのでしょうか。この ページを 読むと、むかしの 人たちの パズルが わかります。

いまから約3500年前の古代エジプトのパピルスに、「7軒の家、それぞれに7匹の猫」と、7倍を重ねていく問題が書かれています。今に残る古い問題のひとつです。

では、板を切って並べる遊びは、いつごろ生まれたのでしょうか。日本には、江戸時代にその本がありました。この記事を読むと、古代エジプト、古代ギリシャ、江戸の日本と、パズルの手がかりが残る場所が分かります。

リンド・パピルス(紀元前1550年ごろ)の第79問は、7軒の家・各7匹の猫と、7の1乗から5乗までを並べて合計を求める問題である[1]。文字で残るパズル的な問題の、古い例のひとつだ。

では、板を切り分けて形を作る遊びはどこまでさかのぼれ、日本の例はいつ現れるのか。本稿を読むと、ストマキオン(古代ギリシャ)と1742年の『清少納言知恵の板』を、タングラムとの関係を含めてどこまで言えるかが分かる。

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1. 7けんの 家に、7ひきの ねこ

1. 3500年前のパピルスに書かれた「猫の問題」

1. リンド・パピルス第79問:7を重ねる問題

パピルスは、むかしの エジプトで つかわれた、かみの ような ものです。そこに 書かれた もんだいの ひとつが、こうです[1]。

家が 7けん あります。どの 家にも 猫ねこが 7ひき。つぎは、ネズミが 7ひきずつ。それから 作物の ほ、そして ヘカトという かさの たんいへ、7ばいが つづきます。

ならんで いるのは、ほとんど 数だけです。家、猫ねこ、ネズミと、7ばいずつ ふえて いく ようすが、あとの 人には おはなしの ように 見えます。

パピルスを 写した 書記は、アアヘセという 人です。もとに なった ふるい 文書を、書き写したと いわれます[1]。

では、この もんだいの 答えは、いくつに なるのでしょう。

家、猫、ネズミ、穂、ヘカト

リンド・パピルスの第79問は、紀元前1550年ごろの数学の書物に載っています。7軒の家があり、それぞれに7匹の猫がいて、次はネズミ、穀物の穂、ヘカト(穀物の量をはかる単位)と、7倍を重ねていく問題です[1]。

パピルスに並んでいるのは、ほぼ数の列だけで、物語の言葉は多くありません。猫やネズミという名前が添えられているので、あとの人には小さなおはなしに見える、ということです。

写された書物

このパピルスは、書記のアアヘセ(Ahmes)が、より古い王の時代の文書を写したものです。1858年に英国人のリンドがルクソールで購入し、1865年に大英博物館が入手しました[1]。書いた人が遊びのつもりだったのか、練習用の問題だったのかは、この資料からは言えません。

では、この問題の答えはいくつになるのでしょうか。

リンド・パピルスの第79問は、家7・猫49・ネズミ343・穀物の穂2401・ヘカト16807という数の列を挙げ、合計を求める問題である[1]。ヘカトは穀物をはかる容積の単位で、各項は前の項の7倍になっている。パピルス上では数の列が中心で、物語を語る言葉は少ない。そのため、猫とネズミの話に見えるのは、数に名前が添えられているからだ。

このパピルスは、書記アアヘセ(Ahmes)が、より古い王(アメンエムハト3世の時代)の文書を写したものである。1858年にリンドがルクソールで購入し、1865年に大英博物館が入手した[1]。したがって、書かれた年代と、写された年代は分けて考える必要がある。

この問題が「なぞなぞの先祖」かどうかについては、のちの童謡や中世の問題と形が似るものの、直接のつながりは確認できない。では、7倍を5回重ねた合計は、いくつになるのか。

2. ぜんぶ たすと、いくつ?

2. 7倍を重ねた合計を、自分で計算してみる

2. 合計19607を検算する:べき乗の和として読む

パピルスに 書かれた 数は、7、49、343、2401、16807 です。7に 7を かけると 49、49に 7を かけると 343、と 7ばいずつ ふえます。

ぜんぶ たすと 19607。パピルスにも、この 合計が 出て います[1]。

たった 7から はじめても、5だん かさねると、2万に ちかい 数に なります。ちいさな 数でも、かけ算を かさねると おおきく なるのです。

さて、数の もんだいは、もじで 書かれて いました。では、「形」で あそぶ パズルは、どこで うまれたのでしょう。

電卓がなくても確かめられる

7、49、343、2401、16807を、自分で足してみましょう。7+49=56、56+343=399、399+2401=2800、2800+16807=19607となります。パピルスに書かれた合計も19607です[1]。

この5つの数は、7の1乗から5乗までです。7から始めても、5つ並べると合計は約2万になります。

数のパズルから、形のパズルへ

ここまでは、文字と数の問題でした。では、手に持って動かす板のパズルは、いつ、どこに現れるのでしょうか。

第79問の各項は、7の1乗から5乗までである。7+49=56、56+343=399、399+2401=2800、2800+16807=19607となり、パピルスに記された合計と一致する[1]。手計算で確かめられるので、読者は当時の問題を、現代の筆算でそのまま追える。

この和は、等比数列の和の公式でも求められる。初項7・公比7・項数5なら、7×(7⁵-1)÷(7-1)=7×16806÷6=19607で、同じ結果になる。ただしリンド・パピルスにこの公式が書かれているわけではなく、ここで確かめているのは現代の道具による一致である。

数の列に猫やネズミの名がつくと、足し算が小さな話に変わる。ただし、それはパピルスの数に添えられた名前から読めることで、書き手の意図までは分からない。では、紙の上の数ではなく、手で動かす板のパズルは、どの時代の記録に現れるのか。

3. 14まいの 板で、ぞうや 船を 作る

3. 古代ギリシャの14枚の板「ストマキオン」

3. ストマキオン:14片の分割パズルと、遊びだったという伝承

古代ギリシャには、「ストマキオン」と いう パズルが ありました。正方形の 板を 14まいに 切った ものです[2]。

むかしの ローマの 本には、この 板で ぞうや 木、船の 形を 作った、と つたえられて います[2]。

いまの 子どもが 動物や 乗りものを 作る のと にて います。名前の いわれには、「ほね」と「たたかい」を 合わせた という 考えと、「おなか」から という 考えが あります。

この パズルは、天才 アルキメデスの 名前と むすびつけられます。でも、アルキメデスが 作った と 言える わけでは ありません。遊びと 調べる ことの どちらが 先だったかは、分かって いません。

正方形を14枚に切った板

ストマキオン(オストマキオン)は、正方形を14枚に切り分けた古代ギリシャの板パズルで、タングラムに近いものです。古代ローマの文献は、これで象、木、船などの形を作ったと伝えています[2]。

名前の由来は2つの説

名前の由来は、「骨」と「闘い」を組み合わせたという説と、「胃(腹痛)」に由来するという説があります[2]。どちらかに決められる資料は、今は見当たりません。

発明者ではなく、研究した人

ストマキオンは、数学者アルキメデスの名前と結びつけられて語られます。ただし、アルキメデスが発明したと書くのは正確ではありません。名前は結びつけられていますが、遊びと研究のどちらが先だったかは分かっていません[2]。

では、アルキメデスは、この14枚の板で、何を知りたかったのでしょうか。

ストマキオン(オストマキオン)は、正方形を14片に切り分けた古代ギリシャの分割パズルで、アルキメデスの名と結びつけられる[2]。古代ローマの文献は、象・木・船などの形を作る遊びだったと伝えている。

名前の由来は、「骨」と「闘い」を組み合わせたとする説と、「胃(腹痛)」に由来するとする説に分かれ、決着はついていない。

ここで注意したいのは、アルキメデスを発明者と書かないことだ。アルキメデスの名とは結びつけられるが、遊びと研究のどちらが先かは分からない[2]。また、ストマキオンが遊びだったのか、数学の研究のための道具だったのかについては、学者の間でも議論がある。アルキメデスの意図は、断定できない。では、アルキメデス自身は、14片で何を調べたと考えられているのか。

4. 正方形を つくる ならべ方は、なん通り?

4. 羊皮紙の写本から考える、ストマキオンの並べ方

4. アルキメデス・パリンプセスト:並べ方は数え方で17,152通りにも536通りにもなる

アルキメデスの 本は、ふるい 羊皮紙の 上に、べつの 文が 書かれて のこって いました。これを 「パリンプセスト」と 言います。1906年に 見つかりました[3]。

そこから、アルキメデスは 「14まいで 正方形を 作る ならべ方は、なん通りか」を かんがえて いた かもしれない、と いう 人が います。

のちに、数学者たちが 計算しました。回したり ひっくり返したり した 形を 数え分ければ 17,152通り、形として 同じ ものを まとめれば 536通りです[3]。

どちらも 正しい 数え方です。数え方で 答えが かわる のは、パズルの おもしろい ところです。

消された文字の下に残っていた

アルキメデスの著作は、「アルキメデス・パリンプセスト」に残っています。パリンプセストとは、中世に羊皮紙の上から別の文が書かれた写本のことです。1906年に発見されました[3]。

この写本の研究者ネッツは、アルキメデスがストマキオンで「正方形を作る並べ方が何通りあるか」を考えていた可能性を指摘しています[3]。

17,152通りと536通り

のちに、チャン、ディアコニス、ホームズ、グレアムが計算し、ピースの回転や反転を数え分ければ17,152通り、図形として区別すれば536通りになるとしました[3]。17,152は536の32倍です。

別の資料には268通りと書くものもあります。これは、数え方の約束が違うためで、どれかが間違いというわけではありません。

古代の板は、数学の問いにもなっていました。では、日本には、いつ、どんな板があったのでしょうか。

アルキメデスの著作の一部は、中世の羊皮紙に別の文が上書きされた写本、アルキメデス・パリンプセストに残り、1906年に発見された[3]。ネッツは、アルキメデスが、ストマキオンで正方形を作る並べ方の数を考えていた可能性を指摘する。

この数は、のちに現代の数学者が計算した。チャン、ディアコニス、ホームズ、グレアムによれば、ピースの回転・反転を数え分けると17,152通り、図形として区別すると536通りである[3]。17,152÷536=32なので、両者は32倍の関係にある。ほかの資料には268通りと書くものもあり、数え方の約束で変わることが分かる。

このため、「並べ方は何通りか」という問いは、「何を同じとみなすか」を先に決めなければ答えが定まらない。1つの数字だけを取り出して強く言うことはできない。古代の板が、数え方によって答えの変わる組み合わせの問いにもなっていた、と読むのが穏当である。では、日本ではいつから、切った板で形を作る遊びが本になっていたのか。

5. 江戸時代えどじだいの 「ちえの いた」

5. 江戸時代の日本にあった「知恵の板」の本

5. 1742年『清少納言知恵の板』とタングラム:先後は決められない

1742年、日本で 「せいしょうなごん ちえの いた」と いう 本が 出ました。7まいに 切った 正方形の 板で、形を 作る あそびの 本です[4]。

本には、42しゅるいの 形の もんだいが のって いて、あとの ほうに こたえも あります。いまの 本と にて います。

この 「ちえの いた」の 切り方は、中国の「タングラム」とは ちがいます[5]。

タングラムは 中国で 生まれたと 考えられて いますが、考えた 人は わかって いません[6]。

どちらが 先かは、まだ きまって いません。日本にも、1742年の 本が あった、と いう ことまでが 言えます。

1742年の本に、問題と解答

1742年(寛保2年)に、巌窟軒が『清少納言知恵の板』を出しました。正方形を7枚に切った板で形を作る遊びの本で、42種類の形の問題が載り、後半に解答があります[4]。

中国のタングラムとは切り方が違う

この本の切り方は、中国のタングラム(七巧図)とは違います[5]。タングラムは中国で生まれたと考えられていますが、考案者は分かっていません。最古の現存品は、1802年に米国人に贈られたものです[6]。

どちらが先かは決められない

中国の最古の本は、失われたといわれ、「日本の本が先」とも「タングラムが先」とも決められません。言えるのは、1742年の日本に、問題と解答を備えた板パズルの本があった、ということです[4]。

では、いま世界で最もよく知られる「ジグソー」は、いつ、何のために生まれたのでしょうか。

日本では、1742年(寛保2年)に、巌窟軒の『清少納言知恵の板』が刊行された。正方形を7枚に切った板で形を作る遊びの本で、42種類の形の問題を載せ、後半に解答を置く[4]。問題と解答がそろった構成は、現代の問題集に近い。

この本の7枚の切り方は、中国のタングラム(七巧図)とは異なる[5]。タングラムに関する中国の本は1813年の『七巧図合璧』などが知られ、ヨーロッパには1800年代初めに伝わった。「Tangram」の語は、1848年の米国の本で確認される[5]。タングラムは中国で生まれたと考えられているが、考案者は不明で、最古の現存品は1802年に米国人に贈られたものだ[6]。

では、どちらが先なのか。中国側の最古の本が失われているため、決められない。したがって、「日本の本が1742年にある」までを事実として言い、先後については言わないのが妥当である。続いて、板を切るという同じ発想が、まったく別の目的で現れた例を見る。

6. 切った 地図は、べんきょうの どうぐ だった

6. 地図を切ったジグソーは、地理を学ぶ教材だった

6. 1763年スピルズベリーの「切りわけ地図」:遊びの前に教材があった

いま 多くの 人が 知って いる 「ジグソーパズル」は、18せいきの イギリスで 生まれました。ロンドンの 地図を 作る 人、スピルズベリーが、1763年に「木で 地図を 切りわける 人」と 名のり、切った 地図の まなぶ どうぐを 売りました[7]。

木の 板に 地図を はって、国の さかい目に そって 切ります。その かけらを あつめて、地図を 作る のです。これは、地理を まなぶ ための どうぐ でした。

「かならず 世界で さいしょ」とは 言いきれません。ほかにも 木の 地図を 作った 人が いたと、手紙に 書かれて います[7]。

ジグソーの くわしい 話は、べつの ページに あります。

地図を国境で切った教材

ロンドンの地図職人ジョン・スピルズベリー(1739〜1769)は、1763年に「木で地図を切りわける彫版師」と名乗りました。この人は、地理を学ぶ教材として、地図を木に貼り、国境で切りわけた「切りわけ地図」を売りました[7]。

「世界で最初」とは言いきれない

スピルズベリーは、こうした地図を商業的に作った最初期の人物とされます。ただし、ボーモン夫人の木の地図が、1759年と1762年の手紙に出てくるため、「世界で最初」と言い切ることはできません[7]。

ジグソーパズルの話は、別の記事「ジグソーパズルは、いつ、何のために作られた遊びなのか」で詳しく読めます。

ロンドンの地図職人ジョン・スピルズベリー(1739〜1769)は、1763年に「木で地図を切りわける彫版師」と名乗った。この人は、地理を学ぶ教材として、地図を木に貼って国境で切りわけた「切りわけ地図」を売った。商業的に製作した最初期の人物とされる[7]。

注意したいのは、ここでも「世界で最初」とは言い切れない点だ。ボーモン夫人の木の地図が、1759年と1762年の手紙に出てくる。そのため、スピルズベリーは「商業製品として最初期の1人」と書くのが正確である。

この章で言えるのは、ジグソーが、遊びとしてより先に、地理の教材として売られたことだ。切って並べる板が、古代ギリシャでは遊びや数学の対象に、江戸では問題集に、18世紀のロンドンでは教材になった。同じ「切る」という発想が、時代と場所ごとに別の役目を持ったことが、パズルの歴史の幅を示している。名称や大流行は別の記事「ジグソーパズルは、もともと何のための道具だった?」で扱っている。

7. 紙を 切って、じぶんの 板を 作ろう

7. 正方形の紙を切って、自分の「知恵の板」を作る

7. 紙の板で確かめる:切り方を変えると、作れる形はどう変わるか

おりがみ など、正方形の 紙を 1まい 用意します。はさみを つかうので、おうちの 人と いっしょに やりましょう。

紙を 7まいくらいに 切り分けて、ならべかえます。どんな 形が 作れるでしょうか。動物や 船を 作って みましょう。

お友だちと 切り方を かえて みると、同じ 形が 作れない ことが あります。切り方を くらべて、同じ 形が 作れるか ためして みましょう。

もうひとつ。7、49、343 と、紙の 上で 7ばいを かさねて、ほんとうに 19607に なるか、たして みましょう。

自分の板で確かめる

折り紙などの正方形の紙を、はさみで7枚前後に切り分けて並べかえてみましょう。はさみを使うので、保護者と一緒に行ってください。動物や船などの形が作れます。友だちと切り方を変えると、作れる形が変わることが分かります。

この切り方は『清少納言知恵の板』と同じとは限りません。友だちの切り方と見くらべて、同じ形が作れるかを試してみましょう。

数で遊ぶ

7、49、343、2401、16807を足して19607になるかを、自分の手で計算しましょう。「7軒」を「5軒」に変えて同じ並びで作り直すと、合計はいくつになるかも考えてみてください(答えは3905です)。

原典にあたるなら

リンド・パピルスは大英博物館が所蔵しています。

紙を7枚前後に切り分けて並べかえ、切り方と作れる形の関係を調べてみるとよい。切り方が違うと、作れる形も変わる。何通りの並べ方があるかを数えるときは、何を同じとみなすかを先に決めることになる。はさみを使うため、保護者と一緒に作業すること。

自分の切り方が『清少納言知恵の板』と同じとは限らない。友だちの切り方と見くらべ、同じ形が作れるかを試すとよい。リンド・パピルスの第79問は、7の累乗5項の合計19607である。

原典は、リンド・パピルス(大英博物館)、『清少納言知恵の板』(1742年)、アルキメデス・パリンプセストの研究資料である。出典欄の資料の多くは二次資料の要約なので、年代や名称の細部は、一次資料や博物館の解説にあたって確かめてほしい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・人名・名称は、資料によって細部が異なることがあります。リンド・パピルス、ストマキオン、タングラム、スピルズベリーの話は、Wikipediaなどの二次資料にもとづいています。

  1. Wikipedia, Rhind Mathematical Papyrus https://en.wikipedia.org/wiki/Rhind_Mathematical_Papyrus (第79問、書写、購入の経緯)
  2. Wikipedia, Stomachion https://en.wikipedia.org/wiki/Stomachion (14枚の板、形、名前の説)
  3. The Archimedes Palimpsest Project https://archimedespalimpsest.org/about/scholarship/combinatorics.php (パリンプセストの発見、並べ方の数)
  4. 東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム, Japanese Tangram (Chie no ita) https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/english/modal/index.html?d=5448 (1742年の本、42種類の形)
  5. Wikipedia(日本語), タングラム https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0 (切り方の違い、七巧図合璧、語の初出。二次資料)
  6. Wikipedia, Tangram https://en.wikipedia.org/wiki/Tangram (考案者不明、最古の現存品。二次資料)
  7. Wikipedia, John Spilsbury (cartographer) https://en.wikipedia.org/wiki/John_Spilsbury_(cartographer) (切りわけ地図、教材としての始まり。二次資料)

なおした ところ

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