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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ニワトリの ごせんぞは、ゆうがた 木の 上で ねて いたの?

ニワトリの祖先は、どんな森の鳥だったのか ── 夕方は木の上で眠り、卵は1年に4〜8個ほど

ニワトリの祖先セキショクヤケイは、どんな暮らしをしていたのか ── 野生の毎日から、人の生活圏に入った道すじ

分野:生きもの

ニワトリの ごせんぞは、セキショクヤケイと いう 森の 鳥です。体重は 1キロ ぐらいで、1年に うむ たまごは 4〜8こほどだと いわれます。10こ入りの たまごパックを、1年かけても いっぱいに できません。

そんな 鳥が、どうして 人の そばで くらす ように なったのでしょう。ヤケイの 森での くらしと、人の 近くに きた わけの 考えが わかります。

ニワトリの祖先と考えられているセキショクヤケイは、体重が1kg弱で、1年に産む卵は4〜8個ほどだと報告されています[2]。10個入りの卵パックを、1年かけても満たせない数です。

そんな小さな森の鳥が、なぜ人のそばで暮らすようになり、世界中で飼われる鳥になったのでしょうか。野生の毎日と、人の畑に近づいたという考え、そして日本に届いた時期が分かります。

ニワトリの祖先と考えられるセキショクヤケイは、体重1kg弱で、年間の産卵数は4〜8個とされる[2]。10個入りの卵パック1つを1年で満たせない計算になる(この数字は北海道大学の発表による一例で、数え方の違う資料もある)。

こうした野鳥が、いつ、どこで、なぜ人の生活圏に入ったのか。森での暮らし、遺伝子と骨から推定された起源、世界と日本への広がりを、確かな部分と仮説の部分を分けて読むと分かる。

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1. ゆうがた、どこへ とんで いくの?

1. 夕方、木の上のねぐらへ飛び上がる

1. 飛ぶのはおもに日没のねぐら入りと逃げるとき

セキショクヤケイは、ふだんは 地めんで えさを さがします。でも ゆうがたに なると、木の 上へ とび上がります。

地めんには、てきが います。高い 木の 上なら、てきは とどきません。そこで 夜を すごすと いわれます[3]。

ある 国の しらべでは、ねぐらには 古い 木が えらばれて いました[4]。これは 1つの 場所での はなしです。

では、ひるまは、どんな 1日を おくって いるのでしょう。

夕暮れの森で、セキショクヤケイは地面から木の枝へと飛び上がります。飛ぶのは、ほとんどの場合、日没のころに地上の捕食者が届かない高い場所のねぐらへ上がるときと、危険から逃げるときです[3]。ふだんは地面で餌を探す鳥にとって、飛ぶことは安全に夜を越すための手段のようです。

パキスタンの国立公園で行われた調査では、ねぐらに古い木が好まれ、4〜8羽ほどの小さな群れで夜を過ごしていました[4]。これは一つの地域の調査なので、どこでも同じとは言えません。では、この鳥の昼間は、どんな様子なのでしょうか。

夕方の森で、セキショクヤケイはなぜ木に上がるのか。報告によると、この鳥の飛行はほぼ、日没時に地上の捕食者が届かない高い場所のねぐらへ上がるときと、危険から逃げるときに限られる[3]。地上で採食する鳥にとって、飛翔は昼間の移動手段というより、夜を安全に越すための行動だと読める。

ねぐらの選び方は、パキスタンの国立公園での調査が手がかりになる。そこでは古い木が好まれ、4〜8羽ほどの小さな群れでねぐらをとっていた[4]。ただし一地域の調査であり、世界中の野生集団に当てはまるとは言えない。そのため以下では、数字を一例として扱う。次は、地上での暮らしだ。

2. 昼間は、どんな 1日?

2. 早朝と日没前に活動する、小さな群れの暮らし

2. 活動は早朝と日没前 ── 群れの構成とヒナの育ち

セキショクヤケイは、あさと ゆうがたの 前に、よく うごいて えさを たべます[1]。ひるまの まんなかは、いそがしく ありません。

数わの 小さな むれで くらします。むれには、おすが 1わから 数わ、めすが 数わ います[3]。

たまごは 21日ぐらいで かえります。ひなは 4〜5しゅうかんで とべる ように なります[3]。

ひなが とべるように なる のは、思ったより はやいですね。では、えさは なにを たべて いるのでしょう。

セキショクヤケイは、人里に近い林に数羽の小群で暮らし、早朝と日没前に活動して餌を食べるとされます[1]。昼の真ん中は、あまり動かないようです。群れはオス1羽から数羽とメス数羽でできていて、オスの間には順位があるとされます[3]。

繁殖期のオスは、餌を見つけたときのような呼び声を出してメスを誘うと説明されています[3]。卵は約21日でかえり、ヒナは4〜5週で飛べるようになります[3]。では、この鳥は何を食べているのでしょうか。

日周の活動は早朝と日没前に偏り、そのあいだに採食する。生息環境は人里に近い林で、数羽の小群をつくる[1]。群れはオス1〜数羽とメス数羽からなり、オスの間には順位がある[3]。

繁殖期のオスは、餌を見つけたような呼び声(tidbitting)でメスを誘うと記述される。卵は約21日で孵化し、ヒナは4〜5週で飛べるようになる[3]。飛ぶ力が生後1か月ほどで備わる点は、木の上のねぐらを使う暮らしと結びつけて読める。次に、餌の中身が人の暮らしと重なるかを見る。

3. なにを たべて いるの?

3. 体重1kg弱の鳥は、果実と種と虫を食べる

3. 体重1kg弱・年4〜8個 ── 小さな野鳥の体格と食べもの

おとなの ヤケイは、おちた 木の み、たね、くさ、ねっこなどを おもに たべます。ひなは、むしや ミミズを たべます[3]。

イネの つぶも たべると いわれます[6]。

からだは 小さく、体じゅうは 1キロ ぐらいです。いまの ニワトリより 小さく、にくも たまごも ずっと すくないのです。さいしょの ニワトリも、これぐらいだったと 考えられて います[2]。

イネを たべる 鳥なら、人の はたけに 来ても ふしぎでは ありません。

成鳥は、落ちた果実や種、草、根などの植物質を、昆虫などより多く食べます。ヒナは主に昆虫やミミズを食べます[3]。イネの穀粒も食べることが知られています[6]。

体は、東南アジアの森にすむ体重1kg弱の大きさです。現代のニワトリと比べると小さく、現代のニワトリよりずっと少ない鳥でした。最初期のニワトリも、同じくらいだったと考えられています[2]。

全長は45cmほどで、インドから東南アジアにかけて広く分布します[1]。穀物も食べる小さな鳥が、人の暮らしにどう関わっていったのか、次の章で考えます。

食性は植物質が中心で、成鳥は落下した果実・種子・草・根を、節足動物などより多く摂る。ヒナの主食は昆虫やミミズである[3]。イネの穀粒も食べることが知られ、東南アジアの家禽の主食の一部でもある[6]。

体格は、体重1kg弱、全長45cm内外[1]。北海道大学の発表によると、年間4〜8個という産卵数も含め、現代のニワトリより小型で、肉量・産卵数とも極端に少ない。最初期のニワトリもこの程度だったと考えられている[2]。なお、産卵数は資料により数え方が異なる。この記事では年間の数として北大の記述だけを使う。

穀物を食べる小型の鳥が、人の生活圏と接点を持つとすれば、どこだろうか。

4. どうして 人の そばに 来たの?

4. 人の畑や貯蔵された穀物に引き寄せられた、という考え

4. 畑・貯蔵・家畜の周りの虫 ── 「引き寄せられた」という仮説の中身

1つの 考えが あります。人が イネや ざっこくを つくる ように なると、はたけに たべものが ふえました。

とれた あとに のこった つぶや、かちくの まわりの 虫も、ヤケイには ごちそうだったかも しれません[6]。

それで 森の ヤケイが、人の むらに ちかづいたと 考えられて います。ただし、これは「かもしれない」という 考えで、はっきり きまった ことでは ありません。

では、いつ ごろ、どこで はじまったのでしょう。

森の鳥が人のそばに来た理由として、考古学の研究が示しているのは、イネや雑穀の栽培と貯蔵が、木にすむセキショクヤケイを人の生活圏に引き寄せたのではないか、という見方です[6]。

具体的には、畑や休耕地、収穫のあとに残った穂や粒、家畜のまわりに集まる虫などが、餌を求める鳥を集落に呼んだ可能性が挙げられています[6]。前の章で見たとおり、成鳥は植物質を、ヒナは虫を食べる鳥なので、筋は通ります。

ただし、これは「示唆」や「可能性」の段階の話で、断定はできません。では、実際の始まりはいつ、どこだったと考えられているのでしょうか。

人の生活圏にセキショクヤケイが入った経路として、Peters ほか(2022)は、イネ・雑穀の栽培と貯蔵が木にすむこの鳥を引き寄せたことを示唆する、と述べる[6]。

具体的な候補は、畑や休耕地、収穫後の残り、家畜のまわりの虫などだ。成鳥は植物質、ヒナは昆虫という前章の食性とも矛盾しない[6]。だが、これは仮説の段階にとどまり、人が意図して飼い始めたのか、鳥が自分から寄ってきたのかを、この資料だけで決めることはできない。

実際の始まりを知る手がかりは、骨と遺伝子の二つにある。両者は同じ年代を示しているわけではない。

5. いつ、どこで はじまったの?

5. 遺伝子と骨で見ると、始まりの年代がちがう

5. 約9500年前の分岐と、約3500年前の骨 ── 二つの数字の読み方

ニワトリの もとに なった ヤケイは、中国の みなみ西、タイの きた、ミャンマーの あたりに いる なかまだと、いでんしの けんきゅうで わかりました[5]。

いちばん 古い 家ちくの ニワトリの 骨ほねは、タイの まんなか あたりの いせきで 見つかりました。3500年ぐらい まえの ものです[6]。

ニワトリは、いくつかの ヤケイの なかまと まざって できたことも わかっています[5]。

では、そこから 世界へ、どうやって ひろがったのでしょうか。

ゲノム解析によると、ニワトリはセキショクヤケイの亜種のひとつ、今は中国南西部・タイ北部・ミャンマーにすむ仲間から最初に生まれたと示されました。この系統がほかと分かれたのは約9500年前と推定されていますが、それは家畜化の始まりを直接示すものではありません[5]。

一方、確実な家畜ニワトリの最古の骨は、タイ中部の遺跡で見つかり、紀元前約1650〜1250年、つまり約3500年前のものです。ニワトリはインド亜大陸で家畜化されたのではない、とも説明されています[6]。

さらに、家畜になったあとのニワトリは各地で別の亜種や別のヤケイ種とも交配したので、祖先は一つの亜種だけではなく混ざっています[5]。遺伝子の年代と骨の年代の差は、まだ説明しきれていません。

起源の場所について、Wang ほか(2020)のゲノム解析は、ニワトリがセキショクヤケイの亜種 G. g. spadiceus(現在の分布は中国南西部・タイ北部・ミャンマー)から最初に生じたことを示した。分岐年代は約9500±3300年前と推定されるが、分岐は遺伝的な分かれた時期であって、家畜化が始まった年ではない[5]。

一方、考古学では、確実な家畜ニワトリの骨として最古のものが、タイ中部のバン・ノン・ワット遺跡(紀元前約1650〜1250年)にある。ここから計算すると約3500年前にあたる。同じ論文は、インド亜大陸で家畜化されたのではないとも述べる[6]。

遺伝の約9500年前と、骨の約3500年前は、測っているものが違う。前者は集団が分かれた時期の推定で誤差も大きい。後者は人の暮らしの中で見つかった確実な骨の年代だ。さらに家畜化後は、各地で他の亜種や別種のヤケイとも交配しており、祖先は単一の亜種ではない[5]。次は、そこから世界へどう広がったかだ。

6. 日本には、いつ ごろ 来たの?

6. 世界に広がり、日本では弥生時代に飼われていた

6. 約3000年前までにヨーロッパへ ── 世界への広がりと、日本最古のヒナの骨

ニワトリは、東南アジアから 西や 北へ ひろがりました。中国、南アジア、メソポタミアには 3500年から 3000年ぐらい 前に 来たと 考えられて います[6]。

でも、なぜ 世界じゅうに ひろがったのかは、よく わかっていません[2]。

日本では、ならけんの いせきで、ニワトリの ひなの 骨ほねが 見つかりました。弥生時代やよいじだいの はじめごろ、いまから 2300年ぐらい 前の ものです。ここでは、ニワトリが せだいを つないで そだてられて いたと 考えられて います[2]。

日本じゅうの 村で かわれて いたとは いえません。

家畜になったニワトリは東南アジアから西へ運ばれ、中国中部・南アジア・メソポタミアには紀元前2千年紀の後半、エチオピアと地中海ヨーロッパには紀元前約800年ごろ届いたとされます[6]。約3000年前までには、ヨーロッパやオセアニアでも利用されていたとされます。ただ、なぜここまで広まったのかは、よく分かっていません[2]。

日本では、奈良県の唐古・鍵遺跡で見つかったニワトリのヒナの骨が、ヒナの骨としては日本最古とされます。骨のコラーゲンを質量分析で調べ、ニワトリの骨と確認され、年代は紀元前3〜4世紀、弥生時代中期の初めです。少なくともここでは、世代をつなぐ飼育があったと推定されています[2]。

この研究は、日本中の集落で飼われていたとまでは述べていません。

家畜化後、ニワトリは東南アジア・南アジアへ運ばれ、中国中部・南アジア・メソポタミアに紀元前2千年紀後半、エチオピアと地中海ヨーロッパに紀元前約800年ごろ届いた[6]。約3000年前までにヨーロッパやオセアニアでも利用されていたとされるが、世界中に広まった理由は分かっていない[2]。

日本では、奈良県の唐古・鍵遺跡から見つかったヒナの骨が、ニワトリのヒナの骨として日本最古とされる。骨のコラーゲンを質量分析で調べ、ニワトリの骨と確認され、年代は紀元前3〜4世紀(弥生中期の初め)である。ヒナの骨が出たことから、少なくともここでは世代をつなぐ飼育があったと推定されている[2]。

この結果は、唐古・鍵遺跡という一地点のものだ。日本中の集落でニワトリが飼われていたとまでは言えないと、発表自体が慎重に述べている[2]。

7. たまごパックと くらべて みよう

7. 冷蔵庫の卵パックを、野生の1年分と比べる

7. 出口 ── 卵パックとの検算/原典に当たる

おうちの 人と いっしょに、れいぞうこの たまごパックを 見て みましょう。10こ入りなら、10こ はいって います。

セキショクヤケイが 1年に うむ たまごは、4〜8こほどです。パックの 4わり から 8わりに しか なりません。

ゆうがた、近くの 木に 鳥が いるか、見えるときに ながめて みましょう。木の 上で ねる 鳥は、ヤケイだけでは ありません。

冷蔵庫に10個入りの卵パックがあれば、ちょうどよい物差しになります。セキショクヤケイが1年に産む卵は4〜8個ほどなので、パックの4〜8割にしかなりません。1年かけても、1パックを満たせない数です。

家のまわりでは、夕方に鳥が木に集まってくるかを眺めてみるのもよいでしょう。見つかっても、ヤケイと同じ理由だとは限りませんが、夕方の鳥を見る目が少し変わるかもしれません。

もっと知りたくなったら、北海道大学の発表は日本語で読めます。出典欄の資料から、気になった場所へ進んでみてください。

10個入りの卵パックで検算できる。年4〜8個という産卵数は、パックの40〜80%にあたる。1年でも1パックに届かない。ただしこの数は北海道大学の発表の記述であり、別の資料には1回の産卵数が12〜24個とあって、数え方が違う。単純に比べられない点に注意が必要だ。

原典に当たるなら、日本語では北海道大学の発表(日本最古のヒナの骨)が読みやすい。起源の年代の違いは、同じ北海道大学の発表を読み、約9500年前の遺伝子の分岐と約3500年前の骨が、それぞれ何を示すのかを本文の第5章と見比べると整理できる。英語の原論文(Wang ほか 2020、Peters ほか 2022)は出典欄にあり、要旨と図を手がかりに二つの年代が何を示すかを読み比べられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:ヤケイの事典項目、北海道大学の発表資料、国立公園の解説ページ、パキスタンの調査論文の抄録、ゲノム解析と考古学の論文2点を使いました。

  1. コトバンク「ヤケイ」(世界大百科事典の記述)。 https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%82%B1%E3%82%A4-143589 (分布、全長、活動する時間帯について)
  2. 北海道大学プレスリリース(2023年4月20日)。 https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/230420_pr.pdf (体重と産卵数、日本最古のヒナの骨、世界への広がりについて)
  3. Thai National Parks「Red junglefowl」。 https://www.thainationalparks.com/species/red-junglefowl (ねぐら入り、群れの構成、ヒナの育ち、食べ物について)
  4. Journal of Threatened Taxa、Red Junglefowl の調査論文の抄録。 https://www.threatenedtaxa.org/JoTT/article/view/2256 (パキスタンの国立公園でのねぐらの調査について)
  5. Wang et al. (2020) Cell Research。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7395088/ (ゲノム解析による起源と交配について)
  6. Peters et al. (2022) PNAS。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9214543/ (最古の骨、穀物と人里への接近の仮説、世界への伝播について)

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