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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

サクラエビは なぜ するがわんで だけ とれるの? ほかの 海には いないの?

サクラエビはなぜ駿河湾だけで獲れるのか ── 他の海にもいるのに、なぜ駿河湾では漁になるのか

サクラエビはなぜ駿河湾で獲れるのか ── 富士川沖の滞留域が、分布と漁場を分ける

分野:海・釣り

ばんに なると、2そうの 船ふねが 1まいの 網あみを ひいて、ピンクいろの ちいさな エビを とります。サクラエビです。

じつは、サクラエビは 駿河湾するがわんいがいの 海にも すんで います。それなのに、日本で サクラエビを とる りょうが なりたって いるのは、駿河湾するがわんだけです。どうして でしょうか。富士川ふじかわの 沖おきに、ヒントが ありました。

夜、2隻の船が1枚の網を引いて、体長4〜5センチ、うすいピンク色のエビをすくい上げます。サクラエビです。

サクラエビは、相模湾や東京湾にもいます。それでも、日本でこのエビを目当てに漁をしているのは駿河湾だけです。「いる」ことと「漁になる」ことは、どうちがうのでしょうか。手がかりは、湾の奥の富士川の沖にありました。

夜、2隻の船が1枚の網を引いて、体長4〜5センチ、うすいピンク色のエビをすくい上げる。サクラエビ漁の風景だ。

このエビは、相模湾や東京湾にもいる。それでも、サクラエビを対象にした漁が行われているのは、日本では駿河湾だけだ。「いる」ことと「漁になる」ことを分けるものは何か。数値モデルによる研究は、湾奥の富士川沖に「卵や幼生が流されにくい場所」があることを示している。

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1. サクラエビは ほかの 海にも いる

1. サクラエビがいても、日本で漁になるとは限らない

1. サクラエビの分布と漁場は一致しない

サクラエビは、駿河湾するがわんだけの いきものでは ありません。相模湾さがみわんや 東京湾とうきょうわんでも、すがたが たしかめられて います。台湾たいわんの 近くでも とれて、日本に はこばれて きます。

でも、日本で サクラエビを 目あてに した りょうを して いるのは、駿河湾するがわんだけです。「いる」と 「りょうに なる」は、ちがう ことなのです。

サクラエビは、ひるまは 水の ふかさ 200〜350メートルあたりに いて、夜に なると 20〜50メートルまで うかんで きます。だから りょうは 夜に します。ふかい 海の エビですが、駿河湾するがわんでは、岸きしの 近くまで ふかい 海が せまって います。

サクラエビは、駿河湾だけにいる生きものではありません。静岡県の資料は、日本では駿河湾、相模湾、東京湾などで分布が確認されていると書いています[2]。台湾の東北部と南西部では漁獲され、日本にも輸出されています[6]。

それでも、サクラエビを対象にした漁業が行われているのは、日本では駿河湾だけです[2]。ここがこの記事の問いです。「分布する」ことと「漁が成り立つ」ことは、別の話になっています。

サクラエビは昼のあいだ水深200〜350メートルほどにいて、日が暮れると20〜50メートルまで上がってきます[1]。漁が夜に行われるのはそのためです。深海にすむエビですが、駿河湾には、岸のすぐ近くに深い海があります。

サクラエビは駿河湾だけの生物ではない。静岡県水産・海洋技術研究所は、日本では駿河湾、相模湾、東京湾などで分布が確認されていると述べる[2]。台湾の北東部と南西部では漁獲され、日本へも輸出されている[6]。

それでも、サクラエビを対象にした漁業が行われているのは、日本では駿河湾だけだ[2]。分布と漁場は一致しない。この記事は、その差が何から生まれるのかを調べる。

サクラエビは昼間は水深200〜350メートルほどにいて、日没後に20〜50メートルまで上がる日周鉛直移動をする[1]。漁が夜に行われる理由はここにある。深海性のエビだが、駿河湾には、岸のすぐ近くに深い海がある(次の章で扱う)。

2. 1894ねん、ぐうぜんの 大りょう

2. 1894年、アジ漁の網に入っていたもの

2. 1894年、アジ漁の網にかかった1石のエビ

サクラエビの りょうの はじまりは、ぐうぜんだったと いわれます。1894年(明治めいじ27ねん)の 12月、由比ゆいの 漁師りょうし2人が、富士川ふじかわの 河口かこうの 沖おきで アジを とって いました。あみの うきだるを なくして、あみが しずんで しまいました。

あみを ひきあげると、1石こく(およそ 180リットル)を こえる サクラエビが 入って いました。これを きっかけに、由比ゆいや 蒲原かんばらで、サクラエビを とる りょうが つづけられるように なりました。

あみが しずんだ ふかさは、サクラエビの いる ところまで とどいたのかも しれません。しかも 場所は、富士川ふじかわの 沖おきでした。この 場所が、あとで 大じな ヒントに なります。

サクラエビ漁の始まりは、偶然だったと伝えられています。1894年(明治27年)12月、由比の漁師2人が、富士川の河口沖でアジの網を引いていました。浮き樽を失った網が沈み、引き上げると1石(約180リットル)を超えるサクラエビが入っていたといいます[1]。これをきっかけに、由比や蒲原で、サクラエビを狙う漁が続けられるようになりました。

浮きを失った網が沈んで、ちょうどサクラエビのいる深さに届いた、という偶然です。そして場所は、富士川の沖でした。いまもサクラエビの産卵場と漁場は、富士川沖の湾奥と、湾の西側の大井川沖にあります[1]。

サクラエビ漁の起点は偶然だった。1894年(明治27年)12月、由比の漁師2人が富士川の河口沖でアジを網で獲っていた。浮き樽を失った網が沈み、引き上げると1石(約180リットル)を超えるサクラエビが入っていたという[1]。これを契機に、由比や蒲原で常習的な操業が始まった。

沈んだ網が、昼のサクラエビのいる深さに届いたのだろう。そして場所は、富士川の河口沖だった。現在もサクラエビの産卵場・漁場は、湾奥の富士川沖と湾西部の大井川沖に形成される[1]。最初の発見地点と、いまの主産卵場が重なっていることは、次の章以降の手がかりになる。

3. 日本一 ふかい 湾わんの、いちばん おくで

3. 日本一深い湾の、いちばん奥

3. 海岸から2キロで水深500メートル ── 駿河湾の地形

駿河湾するがわんは、日本で いちばん ふかい 湾わんと いわれます。いちばん ふかい ところは 2500メートル。湾わんの 下には、プレートの さかいめに あたる 「駿河するがトラフ」と いう みぞが とおって います。

とくに 湾わんの おくの 富士川ふじかわの 近くは、海底かいていが とても けわしく、岸きしから 2キロメートル ほど はなれると、もう 水の ふかさが 500メートルに なります。

ふかい 海に すむ サクラエビが、岸の すぐ 近くで とれるのは、この ためです。けれど、地形だけでは 「どうして 駿河するが湾わんだけなのか」は、まだ わかりません。ふかい 海は ほかにも あるからです。

駿河湾は、静岡県の公式ガイドで「日本一深い湾」と紹介されていて、最深部は水深2,500メートルです。湾の中を、フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界にあたる駿河トラフが通っているためです[5]。

湾の奥は、海底の傾斜がとても急です。海岸から約2キロメートルで、もう水深500メートルに達します[5]。昼は水深200〜350メートルにいるサクラエビが、岸のすぐ近くの漁場で獲れるのは、この地形のおかげです。

ただし、深い海は日本のほかの場所にもあります。深さだけでは、駿河湾だけで漁になる理由にはなりません。

静岡県の公式ガイドは、駿河湾を「日本一深い湾」とし、最深部の水深を2,500メートルとしている。湾内にはフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界である駿河トラフが通っていて、これが深さの理由とされる[5]。

湾奥は海底の傾斜が急で、海岸から約2キロメートルで水深500メートルに達する[5]。昼に水深200〜350メートルにいるサクラエビの漁場が、岸に近い湾奥にできるのは、この地形による。

ただし、深い海は他にもある。水深の条件だけでは、他の海域で漁にならない理由は説明できない。残るのは、卵と幼生の行方だ。

4. たまごと あかちゃんが、ながされない 場所

4. 卵と幼生が流されにくい場所

4. 滞留域 ── 数値モデルが示した「流されにくさ」

サクラエビの たまごは、うんでから すう日で かえります。でも、すいすい およげる ように なるまで、ひと月ちかく かかります。そのあいだは、海水かいすいと ほとんど おなじ おもさで、海水かいすいに のって ただよいます。もし すぐに 湾わんの 外へ ながされたら、おおきく なれません。

東京大学とうきょうだいがくの 田中さんたちは、コンピューターの 中に 駿河湾するがわんの 海を つくりました。そして、たまごや あかちゃんに 見たてた 小さな つぶを、川かわごとの 沖おきから ながして、30日 あとの ようすを しらべました。

大井川おおいがわの 沖おきと 安倍川あべかわの 沖おきから ながした つぶは、岸きしに そって、すぐ 湾わんの 外へ でて いきました。ところが 富士川ふじかわの 沖おきの つぶは、 大はんが 湾わんの おくに のこりました。そこには、えいようの 多い 富士川ふじかわの 水も あります。

もうひとつ おもしろい 実験じっけんが あります。コンピューターの 中で、富士川ふじかわの 沖おきを あさい 海に つくりかえると、のこる つぶは なくなりました。この 研究者は、富士川ふじかわの 沖おきに いまのような ふかくて けわしい 海底かいていが なかったら、いまほど 大きな サクラエビの りょうは ならなかったかも しれない、と かいて います。

サクラエビの卵は、産卵後、数日以内にふ化します。ところが強く泳げる段階に育つまでには1か月弱かかり、それまでの幼生は海水とほぼ同じ重さで漂います[3]。流されて湾の外に出てしまえば、育つのは難しくなります。

東京大学の田中潔さんたちの研究グループは、数値モデルの中の駿河湾で、卵や幼生に見立てた粒子を、各河川の河口沖の水深200メートルの線上から流し、30日後の分布を調べました。大井川沖と安倍川沖の粒子の多くは、陸棚に沿ってすぐ湾の外へ出ました。富士川沖の粒子は、大半が富士川の水とともに湾奥に残りました[3]。この「流されにくい場所」を、研究では滞留域(retention area)と呼んでいます。現実の駿河湾でも、そこはクロロフィル濃度が高く、植物プランクトンが多い場所でした[3]。

別の研究者の粒子追跡でも、同じ傾向が出ています。大森信さんは、2020年6〜10月の流れのデータを使って、1か月後に湾内に残る割合を、富士川沖でおよそ54%、安倍川沖でおよそ23%、大井川沖でおよそ15%と報告しました。相模湾では、酒匂川沖から流した粒子の約76%が、1か月後には湾の外に出ました[4]。

数値実験には、もう一つの場面があります。モデルの中で富士川沖に浅い陸棚をつくると、この滞留域が消えました。田中さんは、富士川沖に深くて急な海底がなかったなら、現在ほど大規模なサクラエビ漁は成り立たなかったかもしれない、と書いています[3]。

サクラエビの卵は産卵後数日以内にふ化するが、強い遊泳力を持つポストラーバに成長するまでに1か月弱かかる。それまでの初期幼生は海水とほぼ同じ比重で浮遊する[3]。この期間に湾外へ流出すれば、成長は難しくなる。

田中潔(東京大学大気海洋研究所)らは、数値モデルの表層に卵・幼生に見立てた標識粒子を置き、30日間の漂流を追跡した。初期位置は、実際の産卵域に合わせて各河川河口沖の200メートル等深線上とした。大井川沖と安倍川沖の粒子の多くは、陸棚(岸)に沿ってすぐ湾外へ流出した。富士川沖の粒子は大半が富士川水とともに湾奥に留まり、そこが「滞留域(retention area)」になっていた。現実の駿河湾でも、この海域はクロロフィル濃度が高い[3]。研究では、沿岸の海底地形、大河川の流入、地球自転の効果の絶妙なバランスがこの環境を作っていると述べられている。

大森信(2022)の粒子追跡も同じ傾向を示す。2020年6〜10月の流況では、1か月後に湾内に残る割合は、富士川沖で約54%、安倍川沖で約23%、大井川沖で約15%だった。相模湾では、酒匂川沖から放した粒子の約76%が1か月後に湾外へ出た[4]。この差が、駿河湾にだけ漁が成り立つ理由を考えるうえで鍵になる。ただし、いずれも数値モデルの結果であり、実際のサクラエビの動きを直接追った結果ではない。

粒子を放した場所1か月後に湾内に残った割合(大森2022、2020年6〜10月の流況)
富士川沖約54%
安倍川沖約23%
大井川沖約15%

田中らの追加実験では、モデル上で富士川沖に浅い陸棚を人工的に造成すると、滞留域は形成されなくなった。田中は、富士川河口に現在のような深くて急峻な海底がなかったなら、現在ほど大規模なサクラエビ漁は成立していなかったかもしれない、と書く[3]。

5. ふりょうの 年と、のこって いる ぎもん

5. 不漁と、まだ分かっていないこと

5. 不漁の原因と、残された問い

サクラエビの りょうは、2018年から 大きく へりました。2018年の 1年の りょうは やく 312トンでした。2020年には 年の りょうが 128トンまで おちこみました。

なぜ へったのか、はっきり した こたえは まだ ありません。大森さんは、とる 時期が かさなって 産卵さんらんが おそく なり、産卵さんらんの 中心が 湾わんの おくから 西にしへ うつって、幼生ようせいが ながれ出やすく なったのでは、と かんがえて います。そのほかに、川の にごりなども いわれて います。

りょうしさんたちは、じぶんたちで きまりを つくって います。2024年の 春には、産卵さんらんする エビを まもる ために、湾わんの おくで 1日に でる 船を 10ぐみまでに しました。この 年の 春の りょうは 340トンで、2020年の 大ふりょうの あとでは いちばん 多く なりました。まだ、むかしの りょうには もどって いません。

サクラエビの漁獲量は、2018年から大きく減りました。2018年の年間漁獲量は約312トンでした[7]。2020年には年間の漁獲量が128トンまで落ち込みました[2]。

原因は一つに決まっていません。大森信さんは、春の漁で親エビが減り、産卵のピークが遅れたことで、主な産卵域が湾奥から湾の西側へ移り、幼生が湾外へ流れ出やすくなったという仮説を、粒子追跡で検証しました[4]。富士川水系の濁りや、黒潮の大蛇行を原因に挙げる見方もあります[8]。

漁業者は自主規制を続けています。2024年の春漁では、産卵エビを守るため、主産卵場である湾奥に、1日の操業を最大10統にとどめる保護区が設けられました。漁獲量は340.3トンで、2020年の大不漁以降では最も多くなりましたが、資源水準は低い状態が続いています[2]。

2025年には、駿河湾と台湾のサクラエビが遺伝的に交流していることを示す研究も発表されました[6]。サクラエビの生態は、まだ分かっていないことが多い生きものです。

サクラエビの漁獲量は2018年以降に大きく落ち込んだ。同年の年間漁獲量は約312トンだった[7]。2020年の年間漁獲量は128トンだった[2]。

原因は特定されていない。大森(2022)は、春の漁獲による産卵群の減少と産卵ピークの遅れ(初夏から夏末〜秋へ)で、主産卵域が湾奥から湾西部へ移り、幼生が湾外へ流出しやすくなったという仮説を、粒子追跡で検証し、これを支持した[4]。他に、富士川水系の濁りや黒潮の大蛇行も原因として指摘されているが[8]、決着はついていない。滞留域の話は、不漁の説明にもつながる。主産卵域が滞留域から外れれば、地形は同じでも漁獲に結びつかなくなる。

漁業者側の対策もある。2024年春漁では、主産卵場の湾奥に、1日の操業を最大10統とする保護区が設定された。漁獲量は340.3トンで、2020年以降の最高だったが、資源水準は低位のままだ[2]。

また、2025年の東京大学・東海大学の研究は、駿河湾と台湾のサクラエビの間で遺伝的な交流があることを示した[6]。分布と資源管理の両面で、まだ分かっていないことが多い生物だ。

6. 自分でも やって みよう

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

きになった 川の 河口かこうに ある 海を、ちずで 見て みましょう。岸きしから 海の ふかさが、すぐに ふかく なる ところと、ずっと あさい ところが あります。かいようちず(うみの ふかさが かいて ある ちず)で くらべると、ちがいが わかります。

サクラエビを たべる ときは、パックの 「駿河湾産するがわんさん」の もじも 見て みましょう。ほかの 海で とれた ものも 売られて いるので、産地さんちの ひょうじを 見くらべるのも おもしろいです。

海の深さを地図で比べる

海上保安庁の海洋情報ウェブサイトや、地図サイトの海底地形図で、駿河湾の富士川沖と相模湾の酒匂川沖を並べて見てみましょう。岸から沖へ向かって、水深が変わる速さを見比べると、湾の形のちがいが見えてきます。

産地の表示を探す

桜えびの商品には、台湾産と駿河湾産が売られているものがあります。パッケージの産地表示を見比べると、「いる場所」と「漁になる場所」の話が、買い物の中でも見つかります。

原典を読む

田中潔さんの解説[3]は、図つきで、数値モデルの結果と、浅い陸棚をつくった実験を紹介しています。

水深データで湾の形を比べる

海上保安庁などが公開している海底地形図で、駿河湾の富士川沖と、相模湾の酒匂川沖の等深線の間隔を比べてみる。傾斜の差が、粒子の残りやすさの差とどう結びつくかを考える材料になる。

数値モデルの仮定を読む

田中らの実験は、粒子を表層に置き、浮遊する卵・幼生として扱っている[3]。サクラエビが実際には昼夜で深さを変えることを考えると、結果にどんな影響がありうるかを、原文を読んで考えてみる。

原典に当たる

大森(2022)の論文[4]は、不漁の仮説を粒子追跡で検証している。静岡県水産・海洋技術研究所の「だより」[2]には、毎年の漁獲量や体長のデータがある。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:粒子追跡は数値モデルの結果で、実際のエビの動きを直接調べたものではありません。[3]は研究者による解説記事、[4]は日本プランクトン学会報の論文です。

  1. 笹川平和財団 海洋政策研究所「駿河湾サクラエビ漁業の今日」(Ocean Newsletter 第349号)。 https://www.spf.org/opri/newsletter/349_3.html (1894年の発見、昼夜の水深、産卵場・漁場、漁期)
  2. 静岡県水産・海洋技術研究所「だより」第191号(2025年7月)。 https://fish-exp.pref.shizuoka.jp/04library/4-7/pdf_hekisui/hekisui_no191.pdf (駿河湾・相模湾・東京湾での分布と、漁業は駿河湾のみ、2020年128トン、2024年の保護区と漁獲量)
  3. 田中潔(東京大学大気海洋研究所)「観測と数値実験の連携による駿河湾の海洋物理・生物学際研究」。 https://www.icrc.aori.u-tokyo.ac.jp/member/ktanaka/contents_j/Study/Reports/umigakumon.pdf (卵・幼生の粒子追跡、富士川沖の滞留域、陸棚造成の実験)
  4. 大森信「サクラエビ不漁の原因についての仮説の検証」日本プランクトン学会報 69巻1号(2022年)25–33ページ。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/bpsj/69/1/69_25/_article/-char/ja (河川沖ごとの湾内残存率、相模湾との比較、産卵ピークの遅れの仮説)
  5. 静岡県「駿河湾早わかりガイド」。 https://www.pref.shizuoka.jp/machizukuri/kowan/1040846/1025741.html (最深部2,500メートル、駿河トラフ、湾奥の急な海底)
  6. 東京大学大気海洋研究所・東海大学「つながるサクラエビ ── 日本・台湾間における遺伝的交流を解明」(2025年3月5日)。 https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/news/2025/files/20250305_summary.pdf (台湾でも漁獲されること、日本と台湾の遺伝的交流)
  7. 静岡県「さくらえびの漁獲量」。 https://www.pref.shizuoka.jp/kensei/information/myshizuoka/1002255/1040934/1011244.html (2018年の年間漁獲量312トン)
  8. nippon.com「サクラエビ : 駿河湾だけで水揚げされる海の宝石」。 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c15346/ (不漁の要因として挙がる、富士川水系の濁りと黒潮大蛇行)

なおした ところ

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