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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ソファは いつごろから、日本の 家で つかわれて いるの?

ソファは日本の家でいつごろから使われているのか ── 「応接室のソハー」を手がかりに

日本の家でソファはいつごろから使われているのか ── 初出の実例「応接室のソハー」と戦後の居間

分野:歴史・文化

1889ねんの しんぶんに、「おうせつしつの ソハー」と いう ことばが でて きます[1]。おうせつしつは、おきゃくさんを むかえる へやの ことです。じてんが のせている、いま たしかめられる いちばん ふるい れいです。

いまは 家族が ごろごろ する ソファが、どうして おきゃくさんの へやに あったのでしょう。ソファが リビングに はいって くる までの みちのりが わかります。

日本語の辞典がソファの初出の実例として挙げるのは、1889年(明治22年)の新聞にある「応接室のソハー」です[1]。家族がくつろぐ居間ではなく、客を迎える部屋でした。

では、その客間のソファは、いつ、なぜ居間に移ったのでしょうか。ことばの由来、明治の洋館、応接間、戦後の居間の調査まで、道すじが分かります。

家庭のくつろぎの象徴のようなソファだが、日本語の辞典が初出の実例に挙げるのは、1889年(明治22年)の新聞にある「応接室のソハー」である[1]。置かれていたのは居間ではなく、客を迎える部屋だった。

この家具は、どの段階で客間から居間へ移ったのか。語源、明治の洋館、応接間、戦後の住宅と居間の調査を重ねると、年を断定できる部分と、できない部分が分かる。

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1. ソファは、さいしょ だれの ための いすだったの?

1. 「応接室のソハー」── 最初に出てくるのは、客を迎える部屋

1. 1889年の新聞に残る「応接室のソハー」── 初出の実例が語ること

ソハーは、いまの ソファの ことです。1889ねんの しんぶんでは、おきゃくさんを むかえる へやの ソファと して でて きます[1]。

この れいでは、ソファは おきゃくさんを むかえる へやに おかれて いました。

それが、いまのように 家族が くつろぐ リビングに はいるのは、戦後せんごの ことだと、けんきゅうは のべて います[8]。

では、「ソファ」と いう ことばは、どこから きたのでしょう。

デジタル大辞泉は、ソファの初出の実例として、1889年(明治22年)10月20日の『時事新報』を挙げています。そこに書かれているのは「応接室のソハー」で、当時の表記は「ソハー」でした[1]。

これは「辞典が挙げる初出の実例」で、ソファが日本に入った年ではありません。それでも、日本語に残る早い例が客を迎える部屋であることは、ソファが家族のためより先に、客のための家具として目にされていたことを思わせます。1906年の二葉亭四迷『其面影』にも、長いすに横になる場面でソファが出てきます[1]。

この記事の問いに、先に大づかみで答えておきます。資料から読み取れるのは、明治には洋館や応接間という客を迎える場所の家具だったこと、そして戦後に居間へ入って家庭に広がったことです。ふつうの家に何年に広まったかは、年を決められる資料がありません。

次は、この名前がどこから来たのかを見ます。

家庭のくつろぎの中心にあるソファだが、日本語の最初期の用例では、置かれているのは客を迎える部屋である。デジタル大辞泉が初出の実例とするのは、1889年(明治22年)10月20日の『時事新報』にある「応接室のソハー」で、当時の表記は「ソハー」だった[1]。

ただし、これは辞典が挙げる初出の実例にすぎず、家具が日本に入った年を示すものではない。幕末の開港地などに先に入っていた可能性は、この資料からは言えないので、書かない。言えるのは、日本語の文章に残る早い例が「応接室」の中のソファだという点までである。1906年の二葉亭四迷『其面影』にも、長椅子に横になる場面でソファが使われている[1]。

題名の問いへの大枠の答えを先に置く。資料から読み取れる流れは、明治には洋館や応接間という接客の場の家具であり、戦後に居間へ入って家庭に広がった、というものである。ふつうの家に広まった年は、年を決められる資料がない。以下では、語の由来、洋館、応接間、戦後の調査の順に、この流れの根拠と限界を見る。

2. 「ソファ」と いう ことばは、どこから きたの?

2. 「ソファ」の語は、宮廷の座具までさかのぼる

2. sofaの語源と長いすの考案 ── 宮廷の座具から17世紀後期の「ディバン」へ

「ソファ」と いう ことばは、えいごの sofa から きて います。さかのぼると フランスご、その まえは アラビアごの 「スッファ」に つながります[2]。

もとは、むかしの トルコの 宮廷きゅうていで、えらい 人が つかった すわる ための かぐだと されます。カーペットや クッションを しいて ありました[1]。

ヨーロッパでは 17せいき ごろに、あつい クッションを ながい いすに のせた 「ディバン」が かんがえられた と いいます[3]。ただし、ウィキペディアには、ひじかけの ある ながいすが 18せいきの フランスで でて きた、という せつめいも あり、いつ できたかは はばが あります[4]。

では、そんな ながい いすは、めいじの 日本の どんな 家に あったのでしょう。

「ソファ」の語をさかのぼると、英語のsofa、フランス語のsofa、アラビア語の「スッファ」にたどりつくとされます[2]。

大辞泉の説明では、もとはオスマン・トルコの偉い役人が、宮廷で客に会う広間で使った座具で、カーペットやクッションが敷いてあったものだとされます[1]。ここで言えるのは語の由来であり、ソファという家具を誰かが発明した話ではありません。

ヨーロッパでは、17世紀後期に、トルコやペルシアの宮廷会議(ディーワーン)で使われた厚いクッションを長いすに取り入れ、詰め物と布で張り包んだ「ディバン」が考案されたと、世界大百科事典は説明します[3]。一方、ウィキペディアには、現在のソファの祖先にあたる肘掛け付きの長いすの登場を18世紀のフランスとする説明もあり、起源は17世紀後期から18世紀と幅があります[4]。

では、そうした長いすは、明治の日本のどんな家にあったのでしょうか。

日本の家具の話なのに、名前をたどるとなぜ宮廷に行き着くのか。語源をたどると、英語sofa、フランス語sofa、アラビア語の「スッファ」と遡れるとされる[2]。

さらに、大辞泉はこの語が、オスマン・トルコの高官が宮廷の広間で接見するときに用いた、敷物やクッションを置いた座具に由来するとする[1]。これは語の由来の説明であって、家具としてのソファを誰が作ったかを示すものではない。

家具の形が整うのは、ヨーロッパに入ってからである。世界大百科事典(平凡社)は、17世紀後期に、トルコやペルシアの宮廷会議(ディーワーン)で使われた厚いクッションを長いすに取り入れ、詰め物と布で張り包んだ「ディバン」が考案されたと記す[3]。一方、ウィキペディアには肘掛け付きの長いすをフランスの18世紀の登場とする説明もあり[4]、起源の年は資料によって17世紀後期から18世紀と幅がある。したがって、ここでは1つの年に決めない。

語の旅はここまでである。では、この種の家具は、明治の日本の誰の家に、どのような形で置かれたのか。

3. めいじの おやしきの ながい いすは、だれの ものだったの?

3. 明治の洋館の長いすは、一部の人の住まいにあった

3. 有栖川宮邸の長椅子(1884年)── 洋館の家具と、床に座る暮らしの落差

2026ねんに、東京の 博物館はくぶつかんで 「洋館 めいじの ゆめと ちょうせん」と いう てんじが ひらかれました。その しょうかいには、1884ねんの 長いすが でて きます。ありすがわの みやの おやしきの、ダンスを する へやで つかわれた ものです[5]。

この ころの 洋館は、こうぞくや、くらしの ゆたかな 人たちの すまいと して しょうかいされて います[5]。ふつうの 家に ソファが あった わけでは ありません。

もともと 日本の 家では、いすに すわる くらしは あまり ありませんでした。いすに すわる くらしは、学校の きょうしつから すすめられたと いう せつめいも あります[6]。

では、ふつうの 家には、いつ ソファの ための へやが できたのでしょう。

2026年に江戸東京博物館で開かれた特別展「洋館 明治の夢と挑戦」の紹介記事は、有栖川宮邸の舞踏室で使われていた1884年の長いすを、展示の一つとして取り上げています。記事では、皇族や上流階級のための洋風邸宅が紹介されています[5]。

つまり、洋館の長いすは、一部の人の住まいにあった家具でした。これを「ソファ」と呼んでよいかは資料によりますが、座る暮らしの形が先に洋館へ入っていたことは読み取れます。

一方、住宅で椅子に座る習慣のなかった日本人にとって、床座から椅子座への変化は、欧化政策の一環として学校の教室から進められた、と九州大学の資料は説明します[6]。

洋館の長いすと、学校の椅子。この2つが、ふつうの家の客間につながるまでには、もう一歩ありました。

明治の洋館の長椅子と、ふつうの人々の床座の暮らしは、同じ時代でありながら大きく離れていた。江戸東京博物館の特別展「洋館 明治の夢と挑戦」(2026年)の紹介記事には、有栖川宮邸の舞踏室で使われていた1884年の長椅子が展示の一つとして出てくる。同じ記事は、明治の洋館を皇族や上流階級のための洋風邸宅として紹介している[5]。

この長椅子は、記事では「長椅子」と呼ばれており、ソファそのものと断定できるわけではない。それでも、1889年の「応接室のソハー」より5年早い時点で、座る暮らしの形がすでに一部の邸宅に入っていたことは読み取れる。

では、それ以外の人々はどうだったのか。九州大学の資料は、住宅で椅子に座る習慣のなかった日本人にとって、床座から椅子座への変化が、欧化政策の一環として学校の教室から半ば強引に進められたと説明する[6]。この資料は一般向けの紹介であり、年ごとの普及を数えたものではないため、家庭に椅子が入った時期の根拠にはならない。それでも、床座から椅子座への変化が学校の教室から進められたという見方が示されている点は、後の章の背景になる。

洋館と教室から家庭へ。その橋渡しが、客を迎えるための一室だった。

4. おきゃくさんの へやは、ふつうの 家にも できたの?

4. 応接間は、いすに座る一室を畳の家に足した部屋

4. 応接間の出現と応接セット ── 椅子の暮らしを「一室だけ」取り入れる

おうせつまと いう へやが、明治めいじの おわりごろ(30ねんだい)に、大きな まちの 中くらいの 家に でき はじめたと されます[7]。

その あと、たいしょうから しょうわの はじめに かけて、まちで はたらく 会社いんなどの 家にも ひろがりました。そこで、ひじかけいすと ながいすと テーブルを くみあわせた 「おうせつセット」が ほしがられました[7]。

おうせつまは、いすに すわる くらしを 取り入れた、ようふうと わふうが まざった おきゃくさんの へやと せつめいされます[7]。たたみの 家の なかに、いすの へやが ひとつ ふえた すがたです。

ただし、日本じゅうの ふつうの 家へ、なん年に ひろがったかは、しりょうからは はっきりしません。

その橋渡しをしたのが、応接間です。事典の解説では、応接間は明治30年代に大都市の中流住宅に現れ、大正から昭和前期に都市の俸給生活者(会社員など)の住宅に広まったとされます[7]。それにともなって、「ひじかけいす・長いす・テーブル」からなる応接セットの需要が生じたといいます。

注目したいのは、応接間が「いす式の起居様式を取り入れた和洋折衷の接客室」と説明されている点です[7]。家全体を椅子の暮らしに変えたのではなく、客を迎える一室だけに洋風を取り入れた形だと読めます。畳の家の中に、いすの部屋が一つ足されたわけです。

ただし、解説が示すのは「大都市の中流住宅」と「都市の俸給生活者」までです。農村や小さな町の家にいつ広まったのかは、この資料からは分かりません。

この客のための部屋が、戦後には減っていきます。ソファの居場所は、どこへ移ったのでしょうか。

客を迎えるための一室は、どのように家庭に入ったのか。事典の解説によれば、応接間は明治30年代に大都市の中流住宅に出現し、大正から昭和前期に、都市の俸給生活者(会社員など)の住宅に広まった。そのため、「ひじかけいす・長いす・テーブル」からなる応接セットの需要が生じたという[7]。

この解説は、応接間を「いす式の起居様式を取り入れた和洋折衷の接客室」と位置づける[7]。ここで押さえたいのは、椅子の暮らしが家全体ではなく、接客という限られた用途の一室に入った点である。床に座る暮らしの家に、椅子に座るための一室を足した形だと読める。

注意すべき限界もある。解説の範囲は大都市の中流住宅と都市の俸給生活者までであり、農村や小さな町の家にいつ広まったかを示す資料は、今回の材料にはない。したがって、「明治の家庭にソファが広まった」とは書けず、「接客の場に洋風の家具が入った」までが言える範囲である。

では、この一室は、なぜ戦後に減るのか。その問いは、居間の変化とつながっている。

5. ソファは、どうして リビングに きたの?

5. 戦後、客間が減り、ソファは居間へ移っていった

5. 戦後の居間とダイニングキッチン ── 応接間が減り、ソファの居場所が移る

戦後せんごに なって、ちいさな 家や しゅうごうじゅうたくでは、おうせつまの ある まどりが すくなく なりました。おきゃくさんは、リビングで むかえる ことが ふえたと いいます[7]。

もう ひとつ、ダイニングキッチンも ありました。たべる ところと だいどころが つながった へやです。これが 家に はいった ことを きっかけに、ゆかに すわる くらしから、いすに すわる くらしに かわって いったと、島根大学の けんきゅうは のべて います[8]。

1955ねんに できた 日本じゅうたく こうだんは、「2DK」と いう まどりの 家を つくりました。これが ダイニングキッチンの たんじょうと いわれます[9]。

こうして ソファは、おきゃくさんの へやから、家族が くつろぐ リビングへ うつって いったようです。

第二次大戦後、都市の小住宅や共同住宅では応接間を持つ間取りが少なくなり、来客は居間で応対するものが多くなったと説明されます[7]。客のための部屋が減れば、ソファの置き場所も居間に移る流れが見えてきます。

島根大学の研究(2013年)は、昭和20年代は和室中心で床に座る暮らしが主だったが、昭和20年代後半〜30年代に住宅へダイニングキッチンが入ったことをきっかけに椅子座へ変わり、居間にソファが入るようになったと述べます[8]。「きっかけ」と書かれており、原因が1つに決まったとは言えません。

そのダイニングキッチン導入の代表例が、日本住宅公団の標準設計です。公団は1955年に設立され、同年11月に整備された標準設計の一つ、4階建て階段室型の2DKが紹介されています。この報告は、時代区分に「ダイニングキッチンの誕生」を掲げています[9]。椅子に座る食事など、新しい暮らし方が提案されました。ただし、ダイニングキッチンの考え方が公団で突然生まれたとは限らず、戦前の構想をたどる研究もあります。

では、居間に入ったソファは、どのくらい広まり、家族の過ごし方をどう変えたのでしょうか。

客間のソファは、なぜ居間へ移ったのか。まず住まいの側を見ると、第二次大戦後、都市の小住宅や共同住宅では応接間を持つ間取りが少なくなり、来客は居間で応対するものが多くなった[7]。客のための専用の部屋が減れば、座具の居場所も居間へ寄る。

次に、暮らし方の側を見る。島根大学の研究(2013年)は、昭和20年代は和室中心で床座が主だったが、昭和20年代後半〜30年代に住宅へダイニングキッチンが導入されたことをきっかけに椅子座へ変化し、居間にソファが入るようになったと述べる[8]。「きっかけ」とある以上、ダイニングキッチンだけで説明が済むとは言えない。

日本住宅公団(1955年設立)は、同年11月に整備した標準設計の一つ、4階建て階段室型の2DKを紹介し、椅子座の食事など新しい暮らし方を提案した。同報告は時代区分に「ダイニングキッチンの誕生」を掲げている[9]。ただし、ダイニングキッチンの発想は公団が突然生んだものとは限らず、戦前の構想をたどる研究もある。

こうして、居間という家庭の場にソファが入る条件がそろう。では、入ったソファは、実際にどれほど使われ、家族に何をもたらしたのか。

6. リビングの ソファは、家族を あつめて くれるの?

6. 居間のソファのある家は約7割、約3割が「集まる時間が増えた」

6. 居間のソファと家族 ── 約7割・約3割という数字の読み方

ある けんきゅうが ちょうさした 家では、リビングに ソファが ある 家が、およそ 7わりでした。そして ソファの ある 家の およそ 3わりが、「家族が リビングに あつまる じかんが ふえた」と こたえました[8]。

ぜんぶの 家に なおすと、10けんに 2けん くらいです。ソファの ある 家では、リビングに あつまる じかんが ふえたと こたえた 人が いました。

ただし、ちょうさした 家は かぎられて います。日本じゅうの わりあいでは ありません。「ふえた」は、こたえた 人の じっかんです。

では、おうちの ソファは、いつ、だれの ために やって きたのでしょう。

同じ島根大学の研究の調査では、約7割の世帯の居間にソファがあり、ソファのある世帯の約3割が「家族が居間に集まる時間が増えた」と答えました。研究者は、ソファに家族を居間へ呼び寄せる効果があると考えています[8]。

ここで検算をしておきます。約7割のうちの約3割は、0.7×0.3≒0.21です。ソファの有無にかかわらず調査対象の世帯全体に直すと、およそ5世帯に1世帯が「集まる時間が増えた」と答えたことになります。

数字の読み方には注意が要ります。調査対象は限られた地域・世帯で、日本全体の割合ではありません。「増えた」は回答者の実感であり、ソファが原因だと決まったわけでもありません。それでも、客のための家具だったソファが、家族を居間に集める家具としても受け取られていることは、この調査から読み取れます。

客のための家具から、家族のための家具へ。この変化は、あなたの家のソファでは、どうなっているでしょうか。

居間に入ったソファは、家族の過ごし方に影響したのか。島根大学の研究の調査では、約7割の世帯の居間にソファがあり、ソファのある世帯の約3割が「家族が居間に集まる時間が増えた」と答えた。研究者は、ソファに家族を居間へ呼び寄せる効果があると考える[8]。

この数字は、そのまま並べると誤読しやすい。約3割はソファのある世帯の中での割合なので、調査対象の世帯全体に直すと、0.7×0.3≒0.21、およそ5世帯に1世帯である。「約」の数字どうしの掛け算なので、上限や下限まで厳密に言える値ではなく、桁の目安として読むのがよい。

読むうえでの限界は、少なくとも3つある。第1に、調査対象は限られた地域・世帯であり、日本全体の割合ではない。第2に、「増えた」は回答者の主観で、客観的な滞在時間の測定ではない。第3に、ソファのある世帯とない世帯を比べて原因を決めた調査として紹介されているわけではないため、「ソファが集めた」と因果を断定することはできない。

それでも、客のための家具が、家族を居間に集める家具として受け取られているという点は、この調査から読み取れる。冒頭の「応接室のソハー」と並べると、ソファが客を迎える部屋だけでなく、家族が過ごす居間にも置かれるようになったことが見えてくる。

7. うちの ソファは、いつ やって きたの?

7. うちのソファは、いつ、だれのために来たのか

7. 自分の家で確かめる ── 来歴を聞き、辞典の初出の実例に当たる

おうちの 人に、ソファの ことを きいて みましょう。「いつから うちに あるの?」「その まえは、どこに すわって いたの?」と。おじいさんや おばあさんの 家の はなしも、おもしろいかも しれません。おうちに ソファが なければ、いつも すわって いる いすや ばしょに ついて きいて みましょう。

おきゃくさんが きた とき、どこで おはなしを するかも、みて みましょう。むかしは おうせつまで、いまは リビング、という 家も あるでしょう。

ソファは、おきゃくさんの ため、それとも 家族の ため。そう おもって みると、いつもの ソファが すこし ちがって みえます。

家に自分のソファがあれば、家族に、いつからあるのか、その前は居間のどこに座っていたのか、聞いてみましょう。祖父母の家の話からは、居間より前の暮らしが出てくるかもしれません。家にソファがない場合は、家の中の椅子や、みんなが座る場所を見て、同じように聞いてみてください。

来客があったとき、どこで話すかも観察できます。応接間があった家、居間で迎える家、ダイニングで済ませる家。この記事の流れが、あなたの家の中でどこまで当てはまるか、比べてみてください。

原文を見たい人は、コトバンクのデジタル大辞泉「ソファー」の項で、初出の実例の欄に「応接室のソハー」を含む一文が載っています[1]。辞典の用例が、ことばの歴史の手がかりになることが分かります。

辞典の用例では客を迎える部屋にあったソファが、いまは家族の過ごす居間にも置かれています。その移り変わりが、あなたの家のソファの向こうに見えてきます。

この記事で言えたこと、言えなかったことを、自分の家で比べるとよい。家族に、ソファがいつから家にあるか、その前の居間でどこに座っていたかを聞いてみる。家にソファがなければ、今ある椅子や座る場所について聞いてもよい。1つの家の経験は一例にすぎないが、島根大学の調査[8]の約7割・約3割という数字と、自分の家の答えがどう違うかを考える材料になる。

資料のほうでは、コトバンクのデジタル大辞泉「ソファー」の項の初出の実例[1]を確かめるとよい。実例の欄には出典と年が添えられており、辞典がどの文章を根拠にしているかが分かる。そのうえで、応接間の項[7]と島根大学の研究[8]を並べると、客のための部屋と家族のための部屋という、2つの時代の接点が見える。

残る問いも整理しておく。明治期の一般家庭にソファがいつ広まったのか、戦後の居間のソファ普及率が全国でどう推移したのかは、今回の材料からは示せない。ここから先は、各地の住宅史や家庭の統計に当たる必要がある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:辞典・事典の解説(コトバンク所収)を語の由来と用例の確認に、大学の研究と公団の報告を戦後の暮らしの変化に使った。

  1. デジタル大辞泉「ソファー」(コトバンク)。https://kotobank.jp/word/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC-92573 (初出の実例、語の由来、『其面影』の用例について)
  2. ウィクショナリー日本語版「ソファー」。https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A1 (語源のつながりについて。利用者が編集できる辞書)
  3. 改訂新版 世界大百科事典(平凡社)「カウチ」(コトバンク)。https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%81-43126 (17世紀後期の「ディバン」について)
  4. 日本語版Wikipedia「ソファー」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC (起源の年に幅があるという説明について。補助的に使用)
  5. 美術手帖「洋館 明治の夢と挑戦」展の紹介記事。https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/32688?page=5 (有栖川宮邸の長椅子と、明治の洋館の紹介について)
  6. 九州大学 社会連携資料(椅子座文化の導入)。https://syarenkei.kyushu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2024/10/BBS_pos_159_jp_new.pdf (床座から椅子座への変化と学校教室について)
  7. 「応接間」(コトバンク所収の事典解説)。https://kotobank.jp/word/%E5%BF%9C%E6%8E%A5%E9%96%93-449111 (応接間の広まりと戦後の変化について)
  8. 正岡・宮崎「住宅居間におけるソファの使用実態」島根大学教育学部紀要47(2013)。https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/28595 (戦後の椅子座への変化と、居間のソファの調査結果について。調査対象は限られた地域・世帯)
  9. UR都市機構 研究報告(住まいの変遷)。https://www.ur-net.go.jp/rd_portal/pnf/ing_report_juu/hndcds000000a2i8-att/hndcds000000abfn.pdf (1955年の日本住宅公団の標準設計とダイニングキッチンについて)

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