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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

たなばたに ねがいごとを かくように なったのは、どうして?

七夕の短冊に願いごとを書くのは、いつ、どんなきっかけで始まったのでしょうか

七夕の短冊に願いを書く習慣は、乞巧奠のどんな祈りから、どう広がったのか

分野:歴史・文化

たなばたの たんざくには、いまは かみを つかいます。でも むかしの ひとは、木の はっぱに かいたと いわれます。しかも もとの 行事では、おりひめに あやかって「はりしごとが じょうずに なりますように」と いのったと いわれます。

どうして はっぱに かいたのでしょう。ねがいごとは、いつから なんでも よく なったのでしょう。この メモでは、たなばたの ねがいごとの ひみつが わかります。

七夕の短冊は紙ですが、平安時代の宮中や貴族は、紙ではなく木の葉に歌を書いて星にたむけたとされます。しかも、もとの行事は、織女にあやかって裁縫など手仕事の上達を祈るものでした。いまの「何を書いてもいい短冊」とは、ずいぶん違います。

葉っぱから紙の短冊へ、裁縫から何でもよい願いへ、どう変わっていったのでしょうか。この記事では、願いごとの中身と書く道具が変わっていった流れが分かります。

七夕に短冊へ願いを書く習慣のもとは、織女にあやかって手仕事の上達を祈る行事だったと説明される。平安の宮中や貴族は、紙ではなく梶の葉に歌を書いたとされ、願いの中身も、書く道具も、いまとは大きく違っていた。

では、その祈りはどのように笹の短冊へ移り、「どんな願いでもいい日」へ変わっていったのか。この記事では、資料ごとの説明の強さを区別しながら、その変化の道すじが分かる。

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1. 京都の おうちで、たなばたの よるに なにを するの?

1. 京都の冷泉家では、今も七夕の夜に庭へ「星の座」をつくる

1. 旧暦の七夕の夜、冷泉家の庭にできる「星の座」と和歌の披講

京都に、冷泉家れいぜいけと いう おうちが あります。むかしから 歌を つくる ことを つたえて きた いえです。この おうちでは、いまも むかしの こよみの たなばたの よるに、にわに「星の座ほしのざ」と いう だんを つくります。そして、歌を 声に だして うたいあげます。

この 行事は乞巧奠きっこうでんと いって、たなばたの ねがいごとの もとに なったと いわれます。では、なにを ねがう 行事 だったのでしょう。

京都の冷泉家れいぜいけは、藤原定家以来の和歌の家です。この家では今も、旧暦の七夕の夜になると、庭に「星の座ほしのざ」という祭壇をつくり、和歌を声に出して歌いあげる「披講ひこう」を行います[3]。

この夜の行事は乞巧奠きっこうでんといい、七夕に短冊へ願いを書く習慣のもとになったとされます[1]。庭の祭壇と和歌の夜に、なぜ「願いごと」の話がつながるのでしょうか。まず、乞巧奠が何を願う行事だったのかを見ます。

京都の冷泉家れいぜいけでは、旧暦の七夕の夜になると、庭に「星の座ほしのざ」という祭壇を設け、和歌を声に出して歌いあげる「披講ひこう」が行われる。冷泉家は藤原定家以来の和歌の家で、この行事を今も続けている[3]。

この夜の行事は乞巧奠きっこうでんと呼ばれ、七夕に短冊へ願いを書く習慣のもとになったとされる[1]。七夕といえば笹と短冊を思い浮かべるが、この夜は、庭に祭壇を設けて和歌を披講する行事で、笹飾りの姿とはだいぶ違う。では、乞巧奠は何を願う行事だったのか。この疑問から、資料の説明の強さを区別しながら、順に答えを探る。

2. さいしょの ねがいは、なんだったの?

2. 乞巧奠では、織女にあやかって裁縫などの上達を願った

2. 乞巧奠は、織女にあやかって手仕事の上達を願う行事だった

きっこうでんでは、ほしの おりひめに あやかって、ぬいものや はたおりなど、てしごとが うまく なる ことを いのりました。「はりしごとが じょうずに なりますように」と いう ねがいです。うたや そめものの ねがいも ありました。

この 行事は、むかしの 中国から ならじだいの 日本に つたわりました。平安時代には、宮中の 行事に なりました。

むかしの ひとは、「じょうずに なりたい」と ねがう ひを、たなばたに していた ようです。では、その ねがいは なにに かいたのでしょうか。

乞巧奠は、中国で七夕の夜に、織女にあやかって機織りや裁縫など手芸の上達を願った祭りです。日本には奈良時代に伝わり、平安時代には宮中の行事になったとされます[1][2]。この行事の願いは、星への夢というより、手仕事の腕を上げたいという現実的な祈りでした。

「七夕」と書いて「たなばた」と読む理由にも、機織りが関わっています。中国の織姫・彦星の伝説と乞巧奠に、日本の棚機津女たなばたつめの伝承が合わさって、7月7日を「たなばた」と呼ぶようになったと考えられています。棚機津女は、乙女が水辺の棚の上の機屋にこもって神を待つという話です[1][4]。

では、その願いを、昔の人は何に書いたのでしょうか。

乞巧奠は、中国で七夕の夜に、織女にあやかって機織りや裁縫など手芸の上達を願った祭りである。日本には奈良時代に伝わり、平安時代には宮中の行事になったとされる[1][2]。読みは資料によって「きっこうでん」とも「きこうでん」ともある。この行事の願いは、星への夢というより、手仕事の腕を上げたいという現実的な祈りだった。

では、なぜ「七夕」と書いて「たなばた」と読むのか。中国の織姫・彦星の伝説と乞巧奠に、日本の棚機津女たなばたつめの伝承が重なって、7月7日を「たなばた」と呼ぶようになったと考えられている。棚機津女は、乙女が水辺の棚の上の機屋にこもって神を待つという話である[1][4]。中国の織女も日本の棚機津女も機織りに関わるので、裁縫の上達を願う行事が受け入れられる下地があったとも考えられるが、これは複数の資料を並べて見えた見方で、資料がそう述べているわけではない。

さて、平安の人は、その願いを書き残すとき何を使ったのか。

3. むかしの ひとは、ねがいを かみでは なく はっぱに かいたの?

3. 平安の貴族は、紙ではなく梶の葉に歌を書いた

3. 梶の葉には何が書かれ、なぜ紙ではなく葉だったのか

平安時代の 宮中や 貴族きぞくの いえでは、梶の葉かじのはと いう はっぱに 歌を かいて、おそなえした そうです。かみの たんざくでは ありません。

どうして はっぱ だったのでしょう。かじの はは、むかしから かみさまの おそなえものを のせる うつわに つかわれる、たいせつな ものでした。それで えらばれたのかも しれません。かみが とても たいせつだった じだいに、はっぱが かみの かわりを した という せつめいも あります。

では、この はっぱは、いつ かみの たんざくに かわったのでしょう。

宮中や貴族の乞巧奠では、7枚の梶の葉かじのはに歌を書いてたむけたとされます(古事類苑にも7枚の記述があるといいます)。平安時代には、二つの星の出会いと、裁縫・詩歌・染織などが巧みになる願いを梶の葉に書きとどめたことが『平家物語へいけものがたり』にも記されている、と解説されています[1][4]。願いは裁縫だけでなく、歌や染め織りの腕前まで広がっていました。

なぜ紙ではなく葉だったのでしょうか。説明は二通りあります。一つは、梶の葉が古くから神前の供物を盛る食器や祭具に使われる神聖なものだったから、という推測です[2]。もう一つは、紙が貴重だった時代に、梶の葉が短冊の役割を担ったという説明です[3]。前者は「なぜこの葉か」、後者は「なぜ紙でないか」に答えていて、どちらも推測や解説にとどまりますが、重なっていてもおかしくありません。

この葉が、どうして笹の短冊に変わったのでしょうか。

宮中や貴族の乞巧奠では、7枚の梶の葉かじのはに歌を書いてたむけたとされ、古事類苑にも7枚の記述があるという[1]。藤原俊成ふじわらのとしなりには、この葉を詠んだ「たなばたのとわたるふねの梶の葉にいくあきかきつ露のたまづさ」という歌がある[1]。「ふね」と「梶の葉」が並んで出てくるのが目をひく。『平家物語へいけものがたり』にも、二つの星の出会いと、裁縫・詩歌・染織などが巧みになる願いを梶の葉に書きとどめたことが記されている、と解説されている[4]。願いは裁縫だけでなく、詩歌や染織まで含んでいた。

なぜ紙ではなく葉だったのか。説明は二通りある。一つは、梶の葉が古来、神前の供物の食器や祭具に使われる神聖なものだったから、という推測である[2]。もう一つは、紙が貴重だった時代に、梶の葉が短冊の役割を担ったという説明である[3]。前者は「なぜこの葉か」を、後者は「なぜ紙でないか」を説明していて、どちらも推測や解説の範囲にとどまる。両立していてもおかしくない。なお「7枚」は資料の書き方の一つで、冷泉家では12枚(閏年は13枚)と数えるともいわれ、家や資料で数え方が異なる。

では、この梶の葉は、いつ、なぜ笹の短冊に変わったのか。

4. えどの まちでは、たんざくを かざった たけの たかさを きそったの?

4. 江戸の町では、短冊を飾った竹の高さを競った

4. 梶の葉から短冊へ。江戸の笹飾りが、いまの形をつくった

江戸時代えどじだいに なると、たなばたは まちの ひとたちの たのしい 行事に なりました。ひとびとは たんざくや いろがみ、きりがみの かざりを、ささ竹に つけて かざりました。

どの いえも、のきより たかく 竹を かざり、かざりの きれいさや 竹の ながさを きそった そうです。いまの たんざくの かたちは、このころに できあがったと いわれます。

たんざくの 色は 五色です。みどり・あか・き・しろ・くろと いわれますが、しりょうに よって あお・むらさきと かく ものも あります。では、たんざくに かく ねがいは、むかしと おなじ だったのでしょうか。

江戸時代には、七夕は五節句の一つとして庶民に広まりました。和歌や願いごとを書いた五色の短冊・色紙・切り紙細工を笹竹に飾るという、今に伝わる形が整ったとされます[6]。どの家も軒より高く竹を飾り、飾りの豪華さや長さを競ったともいわれ、広重や北斎の絵にも描かれたと解説されています[7]。

梶の葉から短冊への移り変わりについては、宮中の乞巧奠で梶の葉に和歌を書いていた習わしが庶民に広がり、やがて短冊になったともいわれます。梶の葉の代わりに短冊へ願いを書き、笹竹に吊るして星に祈る形になった、という説明です[5]。「ともいわれる」という言い方のとおり、定説というより、有力な説明の一つとして読むのがよいでしょう。

短冊の色は、中国の陰陽五行説にもとづく五色で、緑・赤・黄・白・黒をいいます。ただし資料によって、青と緑、黒と紫のように表し方に揺れがあります[3]。

では、短冊に書く願いは、そのあいだに何を書くものになっていったのでしょうか。

江戸の町では、どの家も軒より高く竹を飾り、飾りの豪華さや長さを競ったとされる。この光景は歌川広重や葛飾北斎の絵にも描かれたと解説されている[7]。江戸時代に七夕は五節句の一つとして庶民に広まり、和歌や願いごとを書いた五色の短冊・色紙・切り紙細工を笹竹に飾るという、今に伝わる形が整った[6]。

梶の葉から短冊への移り変わりについては、宮中の乞巧奠で梶の葉に和歌を書いていた習わしが庶民に広がり、やがて短冊になったともいわれる。梶の葉の代わりに短冊へ願いを書き、笹竹に吊るして星に祈る形になった、という説明である[5]。「ともいわれる」という言い方のとおり、定説というより有力な説明の一つとして読むのがよい。

短冊の色は、中国の陰陽五行説にもとづく五色で、緑・赤・黄・白・黒をいう。ただし資料によって、青と緑、黒と紫のように表し方に揺れがある[3]。

では、短冊に書く願いは、そのあいだに何を書くものになっていったのか。

5. ねがいごとは、いつから なんでも よく なったの?

5. 裁縫から習字へ、そして何を願ってもいい日へ

5. 願いは「裁縫」から「習字」を経て、「何でも」へ広がったと説明される

きっこうでんは「はりしごと」の じょうたつを いのる 行事でした。それが、ぬいものなどの わざが うまく なる ねがいに ひろがり、やがて どんな ねがいを かいても よい ひに なって いったと せつめいされて います。

いつ、どんな じゅんばんで かわったのかを くわしく しめす せつめいは ありません。

とちゅうの おはなしも あります。里芋さといもの はに たまった つゆで 墨すみを すると、字が うまく なると いわれました。はりしごとから、字を かく れんしゅうへ。ねがいが ひろがって いった ようすが うかびます。

こうして みると、たなばたの ねがいごとには、「じょうずに なりたい」と いう きもちが あった ようです。ところで、7月7日の よぞらは、ほしが みえるのでしょうか。

願いの中身は、裁縫の上達を願う祭りから、裁縫などの技芸の上達を願う祭りへ、さらにどんな願いごとをしてもいい日へと変わっていったと説明されます[6]。いつ、どの順で変わったのかを細かく示す説明はありません。

途中の姿を思わせる話もあります。里芋さといもの葉にたまった露で墨すみをすると習字が上達するといわれました[1]。梶の葉の時代の「裁縫」から、墨をする「習字」へ。願いが手仕事から手習いへ広がったようすがうかがえます。ただし、この習わしと寺子屋を直接つなぐ資料までは用意できていないので、ここでは寺子屋の子が書いたとは言いません。

願いの対象は、裁縫から習字、そして何でもよい願いへと変わりました。それでも、乞巧奠が手仕事の腕を上げたい祈りだったことを思うと、「自分の腕を上げたい」という気持ちは、どの願いにも通じていたのかもしれません。

ところで、いまの暦の7月7日は、天の川を探すのに向いているのでしょうか。

願いの中身は、裁縫の上達を願う祭りから、裁縫などの技芸の上達を願う祭りへ、さらにどんな願いごとをしてもいい日へと変わっていったと説明される[6]。いつ、どの順で変わったのかを細かく示す説明は見当たらず、その点には注意したい。

途中の姿を思わせる例として、里芋さといもの葉にたまった露で墨すみをすると習字が上達するといわれた、という話がある[1]。梶の葉の時代の「裁縫」から、墨をする「習字」へ。願いが手仕事から手習いへ広がったことを思わせる。ただし、この習わしを寺子屋の子どもたちと直接つなぐ資料までは用意できておらず、そこまでは言えない。

願いの対象は、裁縫から習字、そして何でもよい願いへと広がった。出発点の乞巧奠が手仕事の上達を祈る行事だったことを踏まえると、「いまの自分より少し先へ」という上達を願う気持ちが、形を変えて残っていたことがうかがえる。

ところで、いまの暦の7月7日は、天の川を探すのに向いているのか。

6. 7月7日の よぞらは、ほしが みえにくいって ほんとう?

6. 7月7日の夜空は曇りがち。天の川を探すなら、いつがいいのか

6. 新暦7月7日は梅雨のさなか。伝統的七夕で天の川を探す

国立天文台こくりつてんもんだいに よると、いまの こよみの 7月7日は、たいてい 梅雨つゆの まっさいちゅうです。くもって、ほしが みえにくいと いいます。そこで 2001年から「でんとうてき たなばた」を しらせて います。つゆが あけたあとで、天の川が みやすい ひです。ひは 年に よって かわります。

かみに かいて みよう

かみを たんざくの かたちに きって、「いま じょうずに なりたい こと」を ひとつ かいて みましょう。むかしの ひとの ねがいは「うでを あげたい」でした。かいたら、どんな れんしゅうを するかも ひとこと かきます。はさみを つかう ときは、おうちの ひとと いっしょに しましょう。

ひを しらべて みよう

国立天文台の ホームページで、ことしの「でんとうてき たなばた」の ひを しらべられます。その ひに はれて いたら、よぞらを みあげて みませんか。

国立天文台によると、いまの暦の7月7日はたいてい梅雨のさなかで、なかなか星が見られません。そこで同台は2001年から「伝統的七夕」を広く伝えています。伝統的七夕は、処暑を含む日かそれより前で、処暑にいちばん近い朔の日から数えて7日目で、梅雨明けのあとで天の川が見やすい日です[8]。日付は年ごとに変わるので、毎年、国立天文台の発表で確かめます。

上達したいことを一つ書く

短冊の形に切った紙に、いま上達したいことを一つだけ書いてみます。乞巧奠の願いは「手仕事の腕を上げたい」でした。書いたあとに、そのために何をするかを一行そえると、願いが練習の約束に変わります。はさみを使うときは、まわりに気をつけてください。

伝統的七夕の日を調べる

国立天文台の「伝統的七夕について教えて」のページ[8]で仕組みを読み、今年の日付を調べます。「朔」は暦の上で月が見えない新月の日をさします。その日から数えて7日目の夜に、晴れていたら空を見上げてみる、という調べ方ができます。

気になったら、冷泉家の解説へ

冷泉家の乞巧奠は、京都の七夕を扱った解説記事[3]で読めます。『平家物語』の梶の葉の記述は解説として紹介されているものなので、原典のどの場面なのかを探すのも、次の宿題になります。

国立天文台によると、新暦の7月7日はたいてい梅雨のさなかで、なかなか星が見られない。そこで同台は2001年から「伝統的七夕」を広く伝えている。伝統的七夕は、処暑を含む日かそれより前で、処暑にいちばん近い朔の日から数えて7日目と決められ、梅雨明けのあとで天の川が見やすい[8]。処暑は暦の節目の一つ、朔は暦の上で月が見えない新月の日である。日付は年ごとに変わるため、毎年、国立天文台の発表で確かめる必要がある。

乞巧奠の願いにならって書く

短冊の形に切った紙に、いま上達したいことを一つだけ書いてみる。乞巧奠の願いは「手仕事の腕を上げたい」だった。書いたあとに、そのために何をするかを一行そえると、願いが練習の約束に変わる。はさみを使うときは、まわりに気をつける。

伝統的七夕の日を調べる

国立天文台の「伝統的七夕について教えて」のページ[8]で仕組みを読み、今年の日付を調べる。朔から数えて7日目の夜に、晴れていれば実際に空を見上げて、暦の決め方と空の見え方を自分で結びつけられる。

原典にあたる

冷泉家の乞巧奠は、京都の七夕を扱った解説記事[3]で読める。『平家物語』の梶の葉の記述は、解説として紹介されたものなので、原典のどの場面なのかを自分で探してみる価値がある。乞巧奠が「腕を上げたい」祈りだったのなら、自分の短冊には何を書くだろうか。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. ウィキペディア「七夕(日本)」. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) (乞巧奠、梶の葉、棚機津女、サトイモの露)
  2. 京阪電車「京都の七夕」. https://www.keihan.co.jp/navi/kyoto_tsu/tsu202507.html (乞巧奠の伝来、梶の葉が神聖とされた説明)
  3. 現代ビジネス「京都の七夕・冷泉家」. https://gendai.media/articles/-/85387 (冷泉家の乞巧奠、梶の葉の役割、短冊の五色)
  4. jeepe「七夕の歴史と星」. https://www.jeepe.jp/ja/articles/tanabata-history-stars-1515 (梶の葉に書かれた願い、「たなばた」の呼び名)
  5. つなぐNIPPON「七夕」. https://www.tsunagujapan.com/ja/wow_01799/ (梶の葉から短冊への移り変わりの説明)
  6. 和樂web(Into JAPAN WARAKU). https://intojapanwaraku.com/culture/164950 (江戸の七夕、願いの中身の変化)
  7. 三菱電機 DSPACE コラム. https://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column_w/cw122.html (江戸の町の竹飾り)
  8. 国立天文台「伝統的七夕について教えて」. https://www.nao.ac.jp/faq/a0310.html (伝統的七夕の決め方)

なおした ところ

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