1. いちばん ふるい ズボンは、どこで 見つかったの?
1. いちばん古いズボンは、どこで見つかったのか
1. 最古のズボン ── 中国・洋海(ヤンハイ)墓地
ズボンが 見つかったのは、中国の にしの ほう、タリムぼんちの ヤンハイという はかの ある ところです。いまから 3000〜3200ねんほど まえの ものと かんがえられて います[2]。
ひつじの 毛で できて いて、あしの ところは まっすぐ、またの ところは ひろく なって います。いっしょに うめられて いた ものは、馬に つける くつわや、むち、ゆみなどでした[1]。だから、馬に のる 人の ふく だと かんがえられて います。
ただし これは「いま 見つかって いる ものの 中で いちばん ふるい」という ことです。もっと ふるい ものが、あとで 見つかるかも しれません。
そのズボンが見つかったのは、中国西部、タリム盆地にある洋海(ヤンハイ)墓地です。紀元前13〜10世紀ごろ、つまり約3200〜3000年前のものと考えられています[2]。
羊毛でできていて、脚はまっすぐ、またには広い布が入っています。ズボンの持ち主は男性で、いっしょに、馬のくつわ(馬の口にかませる道具)や革のおもがい(顔につける帯)、戦いに使うおの、むちや弓などが入っていた墓がありました[1]。研究者は、これらから「馬に乗る人の服だった」と読みました。
ただし、これは「現在見つかっているものの中で最古」という意味です。ほかの場所で、もっと古いものが見つかる可能性は残っています。
最古とされるズボンは、中国・新疆のタリム盆地、洋海(ヤンハイ)墓地から出た。紀元前13〜10世紀、つまり約3200〜3000年前とされる[2]。ドイツ考古学研究所のウルリケ・ベックとマイケ・ヴァグナーらが2014年に報告した[1]。
毛織物で、脚は直線的、股には幅の広い布が入る。腰には留めるための紐があった。ズボンをはいた男性の墓には、装飾のある革の轡(おもがい)、木製のくつわ、戦斧、革の腕当てがあった例と、むち、馬の尾の飾り、弓の袋、弓があった例がある[1]。研究者は、これらの副葬品から騎馬と結びつけて読んだ。ペンシルベニア大学のヴィクター・メアは、この論文が「ズボンは馬に乗る遊牧民が発明した」という考えを支持する、と述べている[1]。
ただし、「最古」は「現時点で知られている中で」の意味である。「発明した」も、遺物から導いた解釈であって、決着した結論ではない。
2. その ズボンは、どうやって つくったの?
2. 布を切らずに、体に合わせて織ったズボン
2. 機で寸法どおりに織られた「ズボン」
おどろくのは、つくりかたです。ズボンは、3まいの 毛の ぬのを つなぎあわせて できて います。その ぬのは、はじめから ズボンに ちょうど いい 大きさに おりって ありました[1]。はさみで 切って つくった ものでは ないと 考えられて います。
ひざの ところは、あつくて じょうぶな おりりかたです。ふくの 研究を している 人は、このズボンを「ズボンの ロールスロイス」と よびました[2]。3000ねん まえの 人たちは、馬に のる ための ふくを、とても よく 考えて つくって いたのです。
どうやって おりったのかは、まだ 研究が つづいて います。ズボンの とめかたは、べつの きじでも しらべて います。
このズボンは、3枚の毛織物でできています。しかもその布は、はじめから必要な大きさに織られていて、裁断した跡が見つかっていないので、体に合わせて織ったと考えられています[1]。
2022年の研究では、ひざには分厚くて丈夫な織り方(タペストリー織り)、全体には伸びやすいあや織りが使われていたと報告されました。ウィーン自然史博物館の織物考古学者カリナ・グレーマーは、このズボンを「ズボンのロールスロイス」と呼びました[2]。
再現したズボンを使った実験もあります。人がはだか馬に乗ったところ、ズボンがぴったりして、脚で馬をしっかりはさめたそうです[2]。ただし、これは一人の人が試した結果で、実際にどう使われていたかを証明するものではありません。
留め方や織り方の細かい話は、ズボンの留め方の記事でも少しふれています。
洋海のズボンは、3枚の毛織物でできている。各布は機の上で必要な形に織られ、裁断の跡がないことから、着る人の体に合わせて織ったと考えられている[1]。
2022年のヴァグナーらの研究は、複数の織り技法を確認した。伸縮しやすいあや織り、ひざ周辺の厚い綴織(つづれおり)、足首やふくらはぎの模様に使う撚り合わせ(ツイニング)である[2]。ウィーン自然史博物館の織物考古学者カリナ・グレーマー(研究チームの一員ではない)は、このズボンを「ズボンのロールスロイス」と評した[2]。再現品で、男性ボランティアがはだか馬に乗る試験もしており、「体にぴったり合い、脚で馬を強く挟める」という記述がある[2]。
この試験は1人の試行で、騎乗の人数、時間、距離は記事にない。したがって、「乗馬に向く形だった」ことの傍証にはなっても、「乗馬のために生まれた」ことの証明にはならない。留め方などはズボンの留め方の記事でも扱っている。
3. どうして 馬に のる 人が、ズボンを はいたの?
3. なぜ、馬に乗る人にズボンが必要だったのか
3. 巻き衣やスカート型の服は、馬上でなぜ動きにくいのか
馬に のる ところを 思いうかべて ください。あしを ひらいて、馬の おなかを はさみます。長い ふくや、ぬのを まく ふくだと、めくれたり、ひっかかったり しそうです。
ズボンは、さゆうの あしが べつべつに 入る ので、ひらいても ふくが めくれません。だから 馬に のる ことが おおい 人たちに あうと 考えられて います。
ほかの ばしょでは、ちがう 形でした。たとえば 中国の むかしの「こ」は、またのない 2本の つつを あしに つけて、その 上から ぬのを まく ものだったと いわれます[4]。ズボンとは べつの 道を すすんだ ふくも あったのです。
馬に乗る場面を想像してください。脚を開いて馬の胴をはさむので、長い衣や、腰に布を巻く服だと、めくれたり、引っかかったりしそうです。ズボンは左右の脚が別々に入るので、脚を開いてもめくれません。「ズボンは馬に乗る人の服として生まれた」と考える研究者がいるのも、こうした事情が理由のひとつだと考えられます。
ほかの地域では、別の形がありました。たとえば古い中国の「袴(こ)」は、またのない2本の筒を脚につけ、その上から布を巻く形だったとされます[4]。腰に布を巻いて下半身を覆う服の話は、スカートの記事に書きました。
騎乗では脚を開いて馬の胴をはさむため、巻き衣やスカート型の服は、めくれや引っかかりの問題が出やすい。左右の脚を別々に包む服は、この問題が起きにくい。洋海のズボンが騎馬と結びつけて読まれる背景には、この構造上の理由もあると考えられる。ただし、これは「ズボンは乗馬のためにだけ生まれた」という証明ではない。
別の形もあった。中国には、古くから「脛衣(けいい)」という、、またのない2本の筒を脚に付ける形で、太ももは出るため、上から巻きスカートで覆った。春秋時代にも、またのないものが使われていたという[4]。股のある「合襠袴(ごうとうこ)」が広まるきっかけとして語られるのが、次の章の話である。巻き衣側の歴史はスカートの記事にある。
4. 中国の 王さまは、なぜ「ほかの 国の ふく」を きたの?
4. 紀元前307年、王が「蛮族の服」を取り入れた
4. 趙の武霊王と胡服騎射
いまから 2300ねんほど まえの 中国に、「ちょう」という 国が ありました。その 王の ぶれいおうは、きげんぜん307年に、馬に のる へいたいの ふくを かえる ことに したと いわれます[3]。
北の ゆうぼくの 人たちは、馬に のって 弓を うつのが とくいでした。そこで 王は、その 人たちの ふく、ズボン・ベルト・ブーツ・毛皮の ぼうしなどを、じぶんの 国の きしゃ(馬に のる へいたい)にも きせようと しました[3]。
でも、王の おじさんは、はんたいしました。「ほかの 国の ふくを まねして、むかしからの きまりを かえるのは よくない」と いうのです。王は、じぶんで その ふくを きて、おじさんにも ふく一そろいを おくりました。おじさんは、さいごには 考えを かえた そうです[3]。
今から約2300年前の中国に、趙という国がありました。王の武霊王は、紀元前307年に、軍や宮廷の人たちに、北方の遊牧の人びとの服(胡服)を着せる改革を始めたとされます。ズボン、ベルト、ブーツ、毛皮の帽子などです[3]。それまでの趙の指揮官は、馬上でも、ふつうの長い服を着ていました。
ねらいは、馬に乗って弓を射る部隊(騎兵)を作ることでした。この改革は「胡服騎射(こふくきしゃ)」と呼ばれます。
ところが、王のおじの成は、反対しました。「蛮族の服をまねて、昔からの決まりを変えるのはよくない」という意味のことを言って、宮廷に出なくなったとされます。王は自分でその服を着て、おじにも一そろいを贈りました。おじは、やがて考えを改めたそうです[3]。
趙の武霊王は、紀元前307年に(百科事典は『史記』にもとづく年としている)、将軍・宮廷・軍に、北方の遊牧民の服(胡服)を採用させたとされる。ズボン、ベルト、ブーツ、毛皮の帽子や毛皮の衣である。それまで趙の指揮官は、騎乗でも通常の長い服を着ていた。目的は、騎射を行う騎兵部隊を作ることで、この政策は「胡服騎射」と呼ばれる[3]。
反対した叔父の成は、「蛮族の服をまねて、古い規則を変える」と非難して宮廷を欠席した。武霊王は自ら胡服を着て、成にも一式を贈った。成は態度を改め、論争は終わったという[3]。
この政策をきっかけに、股のあるズボンが中国に広まっていったとされる[4]。ただし、この章は百科事典(二次資料)によって書いたもので、年や細部は『史記』巻43などの原典で確かめるとよい。
5. ギリシャや ローマの 人は、ズボンを どう 思ったの?
5. 「文明人」が笑ったズボン ── ギリシャとローマ
5. ギリシャ・ローマでの「蛮族の服」という見方
ギリシャの 人たちは、ペルシャなど 東の 国の ズボンを、「ふくろ」と いう あだなで よんで ばかに したと いわれます[5]。ローマも おなじで、ズボンは「ばんぞく(ローマの 人では ない 人たち)の ふく」と 見られて いました。
いまから 1900ねんほど まえには、ローマの しょうぐんが ズボンを はいて イタリアに 入った ことで、きらわれた という 話が のこって います[6]。
それでも、寒い 北の 土地まで ひろがった ローマでは、あたたかさも あって、ズボンが だんだん つかわれる ように なった と いわれます[5]。あなたなら、さむい ところで ひらひらした ふくを きますか?
古代ギリシャの人たちは、ペルシャなどの東の人たちのズボンを、袋を意味する「テュラコイ」という言葉で呼んで、ばかにしたといいます[5]。共和政のローマでも、体に布をまとう服が「文明人」のしるしで、ズボンは「蛮族」の服と考えられていました。ズボンは、ガリア(今のフランスあたり)やゲルマンの人たち、ペルシャ人などがはいていたものです[6]。
西暦69年には、ローマの将軍カエキナが、ズボンをはいたままイタリアに進軍して、強い反感を買いました。ローマの歴史家タキトゥスが書き残しています[6]。
それでも、帝国が地中海の外へ広がると、暖かいズボンが使われるようになったとされます[5]。見下していた服も、寒さなどの事情で受け入れられていったようです。
ギリシャ人はズボンを滑稽とみなし、ペルシャなど中東のズボンを「袋」を意味する語(thulakoi)で揶揄した(エウリピデス、アリストファネスなどが用例として挙げられる)[5]。共和政ローマも、体に布をまとう服を文明の証とし、ズボンを蛮族の衣とした[5]。ズボンをはく民族として、メディア人・ペルシャ人、サルマタイ人、ダキア人、ガリア人、ゲルマン人、ブリトン人などが挙げられる[6]。
タキトゥス『同時代史』2巻20節は、西暦69年にカエキナが、ズボンのまま北イタリアに入って反感を買ったことを記す(ズボンを「蛮族の覆い」と表現)[6]。ただし、これは1つの記録で、当時のローマ全体の例とは限らない。
一方、帝国が地中海の外へ広がると、暖かさからズボンの採用が進み、ブラッカエ(braccae)などが広まった、という説明がある[5]。
6. 日本の ズボンの ような ふくは? 女の 人は?
6. 日本の埴輪と、女の人がズボンをはくまで
6. 古墳時代の袴、「ズボン」という語、女性のズボンの扱い
日本でも、古墳の じだいの はにわに、ズボンの ような ふくの 男の 人が います。たとえば、MOA美術館の 男の 人の はにわは、「ふとい 袴(はかま)の ひざの 上を ひもで むすんで いる」と せつめい されて います[7]。
「ズボン」という ことば(ことばの もとは フランス語かと いわれますが、はっきりは しません)は、明治の はじめごろの ほんに のって いる ことが しられて います[8]。
パリには、1800ねんから、女の 人が 男の 人の ふくを きるには けいさつの ゆるしが いる という きまりが ありました。2013ねんに、とうじの だいじんが「いまの きまりと あわない」と こたえ、もう 使われない ことに なりました[9]。自転車で ブルマーズが かえって きた はなしは、この きじです。
日本でも、古墳時代(3世紀後半〜7世紀ごろ)の埴輪に、袴(下半身につける服)をはいた男性の姿があります。MOA美術館にある国指定の「埴輪男子立像」は、「太めの袴の、ひざの上あたりを紐で結んでいる」と説明されています[7]。袴のはじまりについては、この記事ではふれません。
「ズボン」という言葉は、フランス語の「jupon」(ペチコート)が語源とされますが、意味がなぜ変わったのかははっきりしないといいます。辞書が挙げる古い使用例は、明治初めの『西洋道中膝栗毛』(1870〜76年)で、福沢諭吉の『西洋衣食住』(1863年)を最初とする説明もあります。擬態語から来たという説もあります[8]。
女性のズボンは、世界のあちこちで、長く制限されてきました。パリでは1800年11月の条例で、女性が「男のように装う」には警察の許可が必要でした。1909年に、自転車のハンドルや馬の手綱を持つときは例外とされましたが、条文は残りました。2013年に、当時の女性権利大臣が「男女平等の原則に合わない」と答え、事実上、効力がなくなったとされます[9]。ブルマーズが自転車で戻ってきた話は、こちらの記事にあります。
日本では、古墳時代(3世紀後半〜7世紀ごろ)の人物埴輪の男子像が、袴姿で表される。国指定の「埴輪男子立像」(群馬県出土、MOA美術館蔵)は、「裾が広い上衣」に「太めの袴で、膝の上あたりを紐で結ぶ」と記述される[7]。
「ズボン」の語は、フランス語のjupon(ペチコート)に由来するとする説が主流だが、なぜ現在の意味になったかは不明と『日本国語大辞典』は述べる。擬態語由来の説もある。用例の初出は、『日本国語大辞典』が『西洋道中膝栗毛』(1870〜76年)、『日本大百科全書』が福沢諭吉『西洋衣食住』(1863年)とし、資料で食い違う[8]。
女性のズボンは、各地で規制や偏見の対象になった。パリでは1800年11月の条例が、女性が男装(ズボン着用を含む)するには警察の許可を要するとしていた。1909年に自転車のハンドルや馬の手綱を持つ場合の例外が付いたが、条文は残り、女性権利相ヴァロー=ベルカセムが「男女平等の原則と相容れない」として「暗黙の廃止」を述べた(報道は2013年とするが、掲載日は資料により食い違う)[9]。自転車ブームとの関係はブルマーズの記事が扱う。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
今日できること:ズボンを 1ぽん えらんで、またの ところが どう なって いるか、ひざを まげると どう なるか、さわって みましょう。スカートと くらべると、どちらが あしを ひらきやすいですか。
出かけて できること:はくぶつかんで はにわを 見る ことが あったら、男の 人の ふくの 下が どう なって いるか、見て みましょう。
今日できること:手持ちのズボンとスカートを広げて、脚を通す部分の形を比べてみましょう。馬に乗るとき、どちらが引っかかりにくそうか、想像してみてください。
出かけてできること:家にある図鑑や本、博物館や図書館で、埴輪や古い絵にえがかれた人の服を探してみましょう。足の部分がどうなっているかを見ると、服の種類がわかります。
公式の情報で調べる:洋海のズボンは、考古学の報告やニュース記事でくわしく紹介されています(出典[1][2])。
今日できること:手持ちのズボンを1着選び、股の入り方(マチの有無)、膝のあそび、ウエストの留め方を観察する。巻きスカートや着物と比べ、脚を大きく開く動作で何が違うかを試してみる。
出かけてできること:博物館の埴輪、古代の騎馬像、古い絵画の人物の脚の部分に注目し、巻き衣型か、筒型(ズボン型)かを見分ける。
原典で確かめる:洋海のズボンの報告(ベック&ヴァグナー 2014、ヴァグナーら 2022)と、『史記』趙世家(巻43)の武霊王の記事を、日本語訳や解説と合わせて読むとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文は、一次資料のかわりに、報道・百科事典・辞典など二次資料を多く使っています。年代や人名は出典の記述のとおりで、原典(論文・『史記』など)で確かめたものではありません。
- Archaeology Magazine "World's Oldest Pants Unearthed in China"(2014) https://archaeology.org/news/2014/06/02/140602-china-yanghai-pants (洋海のズボンの発見、副葬品、ヴィクター・メアの見解)
- Science News「The world's oldest pants stitched together cultures from across Asia」(2022年) https://www.sciencenews.org/article/pants-oldest-ancient-horseman-asia-culture-origin (Wagner et al. 2022, Archaeological Research in Asia 29, 100344 の紹介。年代、織り技法、グレーマーの評、再現品の騎乗試験)
- Wikipedia "King Wuling of Zhao" https://en.wikipedia.org/wiki/King_Wuling_of_Zhao (紀元前307年の胡服騎射、叔父の反対。異説の紀元前302年も紹介。二次資料)
- Wikipedia "Ku (trousers)" https://en.wikipedia.org/wiki/Ku_(trousers) (脛衣、合襠袴、胡服騎射との関係。二次資料)
- Wikipedia "Trousers" https://en.wikipedia.org/wiki/Trousers (ギリシャ・共和政ローマの見方、帝国での普及。二次資料)
- William Smith, "A Dictionary of Greek and Roman Antiquities" の項目 "Bracae" https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/secondary/SMIGRA*/Bracae.html (ズボンをはく諸民族、タキトゥス『同時代史』2巻20節。19世紀の古い辞典)
- しずおか文化財ナビ「埴輪男子立像」(静岡県) https://www.pref.shizuoka.jp/kankosports/bunkageijutsu/bunkazai/1002825/1041003/1041884/1004983/1021376.html (MOA美術館蔵の男子埴輪の袴の説明)
- コトバンク「ズボン」 https://kotobank.jp/word/%E3%81%9A%E3%81%BC%E3%82%93-2053812 (語源の説、『西洋道中膝栗毛』『西洋衣食住』の用例)
- The Connexion "Women's trouser ban is annulled"(2013) https://www.connexionfrance.com/news/womens-trouser-ban-is-annulled/611805 (1800年11月のパリの条例、1909年の例外、女性権利相の見解)
なおした ところ
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